ゆうすけの豪海倶楽部The Diving Junky Magazine

楽園

本当に美しい風景に出合うと、人は言葉を失う。

「楽園」は今年もここにあった。

ヘレンリーフ

あるゲストが言っていた。

「沢山の魚が見たいならブルーコーナーに潜ればいい。私はヘレンに来たんだ」と。

そう。僕らは今年もヘレンにやってきた。

砂洲でできただけの小さな島は4人のレンジャーと渡り鳥たちの休息と繁殖の地になっている。少しずつ波に浸食され、削られた砂が反対側に溜まることを繰り返して、この10年で島全体が50mも東へ移動した。今もなお、毎年削られて少しずつ小さくなっている。あと何年ももたないであろう島。

海鳥たちはそんなことを知ってか知らずか、いつもと同じように子を育て次の世代へとつないでいく。彼らを見ていると、何かを問いかけられているようにも思えてくる。我々人間は次の世代に何をつなぐことができるのか。

この美しい場所が1日でも長くこの地球上に存在できるよう、今日できる何かをしよう。そんなことを真剣に考えてしまう。

「そんなにナチュラリストだったかな」

ふっと笑いながらも、そんな思いにさせてくれるこの場所に今年も感動していた。

ヘレンリーフ

いい季節がやってきた

今日は快晴。空と海が青い。夏の雨季に入る前、パラオは乾季で最高のコンディションとなる。ちょうど今がその辺り。今年はラニーニャの影響で台風がまだ一つも出来ていない。台風が来ないと海が混ざらず、それはそれで問題だけど、おそらくこの素晴らしい天気は6月末くらいまで続くハズ。

今年の前半は雨不足の水不足で国家非常事態宣言が出るほどパラオは水に困った。どの家も水道が出るのは朝と夕方2時間づつの計4時間。僕も家の水が出ないので適当に桶に溜めたりして凌いでいた。まあ体は海に入るし、夕方に水浴びるので何とかなる、とタカをくくっていた。

しかし水が出ないのはやはり不便なもので、少しずつ毎日の生活が水の出る時間中心になっていった。つまり、水の出る時間に基本生活をするのである。ご飯を作る、食べる、食器を洗う、は当たり前。同時に洗濯とシャワーと掃除など、水を使う可能性のあることはすべてその間に行わなくてはいけないから大変。2時間という時間はあっという間に過ぎて、次のチャンスは10時間後となる。やり切れればこれ以上ない達成感を感じることができるが、途中で水が止まったりするとそれはそれは気持ちが悪い不達成感に打ちのめされるのでした。

そんな大変な水不足だったので長期化するのかと思いきや、さすが飽きっぽいパラオ、5月に入ってから急激に雨が降り出した。その降水量は例年の3倍だったそうだ。あっと言う間にダムには水が溜まり宣言は解除された。それにしても今年はおかしな天気だったなぁ。

そんな天気のおかげで、ここ数日は風が弱く海況がとてもいい。風が弱いと水面に波がたたず鏡のようになる。いわゆるベタベタの状態ってやつだ。こういうときはPLフィルターをかけないと水面が光ってしまってテッカテカな写真になってしまう。フィルターを付けて水面を撮っていたら、ハシナガイルカのコロニー脇をボートが通過した。ボートの波遊びが好きなハシナガはすぐに寄ってきて我先にと舳先の波に乗ろうと遊ぶ。PL付けてたのに水面が光ってしまったのはご愛敬。ゲストと一緒にキャッキャ言いながら写真を撮った。

パラオにいい季節がやってきた。どうか夏までこのままで。

ハシナガイルカ

遠征シーズン到来

やっちゃった…。このGW前にして「ぎっくり腰」やっちゃった。

30代の時に軽症のものはやったことがあった経験はあるが、ここまで本格的なものは初めてだった。

あのね、若い人たちのために書いておくけど、ぎっくり腰ってね、本当に立てないんだよ。聞いてはいたんだけど、これほどまでの威力とは思っても見なかった。力抜けちゃうの、ヘロヘロと。

もうホント情けないんだけど、何も出来ない。手を上げても痛いから本も読めない。トイレに起きるのも、寝返りを打つのも大変。なので3日間なーんにもしないでゴロゴロしていました。

暇で死にそうだった。ゴロゴロしながら、このまま暇すぎて死んじゃったら僕の死因は「暇死」となるのだろうか?

暇死、ヒマシ、ひまし… 一体世界で何人の方がそんな死に方するのだろう。僕はそんなの嫌だなぁ、なんてこうやって文章に起こすこともくだらないようなことずっと考えていた。

折角ゆっくりとした時間が手に入ったんだから、もっと有意義なことを考えればいいのに、そういう時に限ってそうでないことばかり考えるのが人間というものなのだろうか?僕だけなのだろうか?

と、そんなことを書きたかった訳ではありません。

この季節になってくると、我らが「龍馬Ⅰ」は南西諸島に向かって針路を取る航海が多くなる。

パラオの南西諸島とは、ペリリュー島、アンガウル島の更に南西400kmのところにある島々。赤道反流、南赤道海流の影響をバンバン受けながら南下する外洋航海です。

4月にそのクルーズがあって行って来ました。今回のルートはソンソロール州のソンソロール島、メリル島、プルアナ島、の3島めぐり。

それぞれの島に特色があるのですが、今回はメリルが大当たりでした。

メリルは位置がちょっと中途半端なところにあって、一昨年までは外洋航海のルートではスルーされてきた島でした。ですが去年から潜るようになり、ちょっと面白いぞということで続けてリサーチをしています。

そして今回。出ましたよ。これが。

ジンベエザメとダイバー

最近は狙って見れる場所も多くあるようですが、パラオでは常に全くの偶然でしか会えません。ちなみに僕はパラオに19年居てまだ5回しか会ったことがありません。

偶然でも会えればやはり嬉しい。単純に嬉しい。

こんな写真を掲載すると、次回これ見れますか?って聞かれることになる。

聞かれても困るので載せなければいいのにとも思うが、でもしかしやっぱり、ダイバーとして嬉しいことは自慢したくなるので今月はこの写真で。

ジンベエザメ

続、絶好調

いやー、3月は忙しかった。

龍馬とコロールと2つの現場を行ったり来たりで、生活がコロコロ変わるわ、ベットが変わるから腰が痛いわ、そして風邪はひくわ、メールは溜まるわ、それを返信するのに徹夜はするわ、当然寝不足だわ、だから耳は抜けないわ、と大変な一ヶ月でした。

あと数日で平和な4月が来るかと思うと、なんて言うか一人で砂漠を歩いている時に、とにかくその先にあるオアシスまで頑張ろう!といった気分な訳です。

こういう状態をスタッフに説明したら、それは日本の皆さんの、おそらく長期休暇の前の感覚と近いものではないか?という話しでした。ふむふむ、なるほど。

しかし、僕はたった1ヶ月だが、日本の皆さんはそれこそ数ヶ月という忙しさの中を駆け抜けてお休みを取って、例えばパラオに潜りにいらしたりするわけで、その思いは僕のそれよりも数倍の濃度なのだろうと考えると、ゲストのお休みとダイビングを預からせてもらっているガイドとしては、なんだか今まで以上にプレッシャーを感じるよね。

とこれまたスタッフに話をしたら、「そうかもしれないですね。でも秋野さんの仕事は減らないですよ」と笑顔で言われた。○| ̄|_

と、そんなことを書きたかった訳ではありません。

先月、水温の話で下が27度で「寒い」と書いたら、知人たちから「27度は寒くないんだよー」ってお叱りをいただきました。(笑)

確かに今の日本の水温から比べればそうかもしれません。でもね、気温32度で水面28度、1.5mmのボレロと下は短パンで潜ってて、下に降りたら1度違う。これ、あなた、寒いよ!と反論したくなるのですが、世論には素直に従いましょう、ハイ。

まあ、スーツを着ればいいのですが、高水温になってから久しくスーツを着ない僕らは、もうスーツが窮屈に感じてしまう体になってしまいました。もちろん、どうしても寒い時や天気の悪い、マクロをやるときなどは積極的に着ますが、やはり晴れた日には気持ちよく軽装で潜りたいのです。

そして最近の水温はだいぶ安定してきまして、最近は水面も水底も28度。もちろん潮の早いときなどは深いところの冷水塊が上がってくることもありますが、まあ大体揃ってきました。極端な低水温は少なくなっていますが28度がデフォルトになると、おおよそ20年前のパラオの水温と同等。当時僕は5mmのワンピースでいつも潜っていたことを考えると、そろそろこの軽装も考えなくてはならないなー。

ちなみに、今月の写真はブルーコーナーの棚上先端近くのキッカサンゴ辺りの風景。

僕はここのごちゃごちゃっとした感じが好きでよくゲストを案内します。昼間なのに、アカマツカサが外に出てて背景が青で結構好きな環境です。次回ブルーコーナー潜る時には是非どうぞ。

ブルーコーナーの棚上先端近く

絶好調!

パラオでも冬になると日本と同じように風邪が流行る。

一応北半球だという事もあるのでシーズナリティーは日本と同じと考えれば、まあ当然といえば当然ではある。

そしてパラオは今ピークの忙しさ。スタッフ達も体調管理にはとても神経を使っている。みんな疲れているから一人体調を崩すと連鎖反応的にうつってしまうのだ。だからデイドリームでは風邪気味の人は強制的に出勤停止になったりもする。そのくらいこの時期、風邪には神経質になるし大敵なのである。

今日の僕はちょっと声かれ、すこし鼻もグズつく感じがした。朝店に来てすぐスタッフに「秋野さん、風邪ですか?」と聞かれて心配されてしまった。優しいな、嬉しいな、と思いながら「うん、ありがとう。薬も飲んでいるから皆には移らないと思う」と感謝を伝え、申しわけないという気持ちになる。しかし今日は休めない。なぜなら僕の飲んでいる薬は「酒豪伝説」だからであった。○| ̄|_

と、そんな事を書きたかった訳ではありません。

いよいよ3月である。冒頭にも書いたがパラオはピークである。今年は例年に比べて水温が低く外洋の水面で28度、水深20m付近で27度と「寒い」状態が続いている。ここ10年くらいしか知らない人はこの水温を異常と感じるかもしれないが、実はこの水温は僕は最初にパラオに来た20年前はこんなもんだった。98年のエルニーニョが発生して以来、水温が2度ほど上がり、ここ2、3年で1度下がり、そして今年、とうとうもう一度下がったわけだ。

僕はこの水温、どうも一過性の冷水塊が上がってきているだけのような気がしている。理由はいくつかあるのだがそれ全部説明を書いてくと豪海半年分くらいの原稿になってしまうので割愛するが、簡単に言えば海流と貿易風の関係と思う。

しかしこの水温、魚たちにとってはパラダイスのようで、近年まれに見るほど活性がいい。魚たち大喜びで酒池肉林状態である。グルクンとかも群れデカイし、バラクーダたちの光物も集まりがいい。水温が低いので下からニタリやハンマーがバンバン上がってくるし、マンタもウハウハ言っている。(かどうかはわからない)

まあちょっとペラペラと書き連ねてしまったが、とにかく、今冬パラオの水温は魚たちにとって「おいしい」水温になっているようです。

だから海の中も絶好調! 早く僕の体調も絶好調に戻さなければ!

バラクーダ

ご無沙汰しておりました

どうも!ご無沙汰しておりました。

ずいぶんと長いことお休みを頂いてしまいました。

昨年の誕生日には「明日死んじゃっても後悔しない生き方をする」とか抱負を語り、今年の年始には「決めたことはやり通す」とか目標を語ったくせに、全くもって完全不履行。

まさに騙ってばかりのボクです。 o| ̄|_

しかし「カタリの秋野」とかのレッテルは貼られたくないので、今年はちょっとちょっと書いていきたいと思っています。

しかしまあ、1年以上も休んでいたのにボクの席を除籍しないで取っておいてくれた雄輔さんをはじめ、豪海メンバーの皆様の心の広さに感謝します。また書かせてください。改めてよろしくお願いします。

さて、では本題行きましょうか。

その前に、いつものやらないといけないですね。

と、そんなことを書きたかった訳ではありません。

クダリボウズギスの仲間の稚魚

今月の写真は、クダリボウズギスの仲間の稚魚です。

ウチが運営している龍馬クルーズでは年に数回、ミッドナイトダイブという深夜に潜る浮遊系を狙う遊びをしています。日本ではライトトラップ、ブラックナイトダイブなどとも呼ばれていますね。この写真もその時に撮ったもので、この手の連中がわさわさと出て来ます。

ヒョウ柄の長く大きな胸びれが特徴のフォトジェニックなヤツです。この悩ましいヒレをヒラヒラさせながら中層に浮いています。脅かさなければ動きはゆっくりなので撮影はそんなに難しくはないと思います。

ナイトなのに1時間以上も潜って、ずっとファインダー見ているから疲れるのに凄い楽しい。

ちなみにこれ、4月にもまたやります。興味ある人はホームページ見てください。

その後は今年の夏と秋にも開催する予定。雄輔さんどっちか来ないかなー。

ヘレンリーフ

6月7日から14日まで龍馬でヘレンリーフに行って来た。

ヘレンリーフはコロールからおよそ600km南西、北緯2度のところにあるパラオ共和国最南端の環礁である。途中ソンソロール島やプルアナ島を経由しながら南下していく。ヘレンは南北30km、東西15kmの大きさ、この北側に300mほどの小さな砂洲の島がある。現在は居住を目的とする住民はいないが、この海域を守るレンジャーが5名常駐している。

今から20年前、この島は50mほど西にあった。しかし昨今の気象変化のため風が変り、砂が移動して島の位置がずれてしまった。もともと砂洲の島なのでこうした気象変化の影響は簡単に受けてしまう。それによって元々あった井戸が今は海の上という状況だ。

この島は5人のレンジャーのほかに野鳥が住んでいる。主にカツオドリやアジサシの仲間が多いようだ。渡り鳥が営地を移動する途中、営巣のために立ち寄るのだそうだ。我々が訪れたときもものすごい数のアジサシが島で営巣を行っていた。

レンジャー以外、滅多に人が訪れることのない島。その島に足を踏み入れるとまず驚くのはその騒々しさ。この鳥たちの営巣を行う鳴き声がこの島を賑やかす。大洋の孤島でも寂しさを感じないのはおそらく彼ら野生のエネルギーを近くに見ることができるからだろう。

ゆっくりと砂浜を北に向かって歩いていく。鳥たちの営巣地は主に島の中心部から少し北にある。主にここが鳥たちの子育てのエリアとなる。卵を抱える鳥、ヒナをお腹の下に入れて守る母鳥。脅かさないように出来るだけ砂浜の波打ち際を歩く。ガーガーという鳥たちの鳴き声に歓迎、いやおそらく歓迎はされていないだろうが、その鳴き声の騒音のなかを粛々と進む。

島の北端に白いアジサシの群れが数千という羽を休めているのが見える。赤道直下に近い場所で、自分が置かれているこの非日常の風景に少し感動する。視線を上げると海は鏡のように静かになっていた。空と海の境目が分からなくなる。水平線の辺りに環礁のサーフゾーンがわずかに見える。現実と非現実を仕切っているボーダーラインに思えてくる。「楽園」とはおそらくこういう場所のことを言うのだろう。島の北端に着いたその時、数千のアジサシが一斉に飛び立った。

ヘレンリーフ

小学生・遠足クルーズ

3月30日に地域貢献活動の一環として、コロールのミューンズ小学校の生徒30名と先生・保護者10人を「龍馬Ⅰ」号に招待し、ナチュラルアーチまで3時間ほどの遠足クルーズを行いました。

小学生・遠足クルーズ

航海中、3Fのスカイビューデッキから全然降りてこない子供たちのまん丸になった感動の目。

ブリッジに入ってGPSプロッターの前で動かない男の子。

船長椅子で船長帽子をかぶって、嬉しそうに記念撮影をしていた女の子。

嬉しそうに記念撮影をしていた女の子

今まで見たこともない船の中や、普段と違う高さから見るロックアイランドに感動と興奮をしている生徒たちを見ていて、とても幸せな気持ちになりました。

ナチュラルアーチ前で得意気に記念撮影をしていた生徒たち。

突然、「クルーの人たちと一緒に写りたい」と言われ、急遽、生徒とクルーの全員写真を撮ることになったのは嬉しいハプニング。子供たちにヒーロー扱いをされていたクルーたちも嬉しそうでした。

生徒とクルーで記念撮影

今回で2回目となるこの招待遠足クルーズ。

前回は2012年にコロール小学校を招待しています。同じナチュラルアーチまでのルートでクルーズを行ったところ、参加した生徒のほとんどがナチュラルアーチを見たことがない子たちでした。

我々が普段当たり前のように見ているナチュラルアーチやロックアイランドですが、パラオに生まれてここで育っていても、それらを見たことがない子供が多いことに驚きました。

私立校に通う子供たちは、お家が比較的裕福な子が多く、ロックアイランドもナチュラルアーチも小さいうちから見ていると思いますが、公立校に通う子供たちはそうではないのが現実だと知りました。

我々にできることがある。子供たちに夢のあることをしたい。したことない体験をしてもらうお手伝いをしたい。

今回の招待した子供たちの中で、もしかすると将来一緒にデイドリームで仕事をする子が出てくるかもしれない。

そんなことを考えると、子供たちへの夢だけでなく、我々にとっても密かな夢であったりもします。

今後も不定期ではありますが、パラオにあるほかの公立校も順次、招待をしたいと思っています。

小学生・遠足クルーズ

久しぶりに豪海

久しぶりの豪海クラブ原稿を書いている。

調べてみたら、なんと、1年間もお休みをしてしまっていた。

それも、無断欠勤。
最悪である。

この数年、仕事に忙殺されてなかなか原稿が書けなかった。
仕事なんだから、しょうがないよねぇ…。

というのは、ただの言い訳。
最悪である。

と、そんなコトを書きたかったわけではありません。

12月からペリリューに入っています。

2008年にペリリューの店からコロールに戻ってから、およそ6年ぶりのペリリュー勤務となりました。初めの数週間はこの海に慣れなくて、かなり戸惑いましたが、最近は少しなれてきたかな、という実感があります。

ペリリューのこと、パラオのこと、これからまた少しずつ、豪海に寄せさせていただこうと思っています。

ロウニンアジ

久しぶりのここの海は、相変わらずロウニンアジたちがぐるぐる群れていました。

年末から年始にかけてはかなり歩留まりが悪かったんですが、1月に入ってからは比較的よい確率で当たっています。

このままシーズン終わりまで突っ走って行きたいものです。

ではまた!

ミッドナイトダイブストーリー3

ミッドナイトダイブ

10月5日から再度ミッドナイトダイブのクルーズを行った。

今回は前回よりも更に器材のパワーアップを図る。株式会社フィッシュアイより供給を受けライトトラップを5月の2倍に増やした。このライトを全部点けると水中は昼間のように明るくなった。

参加人数も増えているので、それだけ見つける目の数も、撮影される写真も膨大になり、データも増えた。当然、わけの分からない魚も沢山出てくるので観察のための水槽(もちろん観察後はリリースします)も用意され、更にアカデミックな趣が強くなってきた。

準備万端で夜9時、ポイントであるゲロンアウトサイドにエントリーをした。

潮を選んでエントリーしたので開始直後から稚魚たちがわらわらと出てくる。最初はライトの前でしばらく待ってみた。大きな黄色い胸鰭を広げてナミダテンジクの仲間と思われる稚魚が目の前に現れた。体の割に大きな黄色い胸鰭が特徴か。しばらく観察していると、泳ぐことをせずに、ただその鰭を開いたままでじっとしている。彼らのような小さな稚魚が泳いだところでたかが知れている。

よもすると潮流に流されてどこかに飛ばされてしまう。しかし、その流れを利用することが出来れば効率よく遠くまで移動することができる。それを知っている稚魚たちはその大きな胸鰭を広げ、まるで風を受ける帆のようにして流れに乗る。智恵だなぁと思う。

ナミダテンジクの仲間と思われる稚魚

次にライトから少し沖に出てライトの光の限界近くで張ってみる。ミッドナイトが始まって最初にここに僕は来ない。怖がりだから。(笑)でも、いくつかの稚魚を観察すると、もう楽しくなってきてしまってそんな怖さなんてどこかへ行ってしまう。そのアドレナリンによる怖さが麻痺してからライトから離れて行動を開始する。まあ実際離れたからといって怖いことは何もないのだが。

そしてそんな場所にはハギの仲間の稚魚がいた。

ハギにおけるこのステージはケリス期と呼ばれるそうで体は透明なのだが、この固体は成長が進んでいるようで体の後半には成魚と同じようなザラザラのハギ皮が現れ始めているのが分かる。泳ぎ方は成魚と違いどちらかというとブダイのように胸鰭で泳ぐ。成長過程で尾鰭泳法へと変わっていくのかも知れない。

ハギの仲間の稚魚

ふと視線をライトのほうに戻すとセミホウボウの稚魚がいた。

セミホウボウの成魚は水底にいるのでまさか稚魚は浮遊生活をしているとは思わなかった。さらにその体がユーモラス。一丁前にセミホウボウの形をしているのだが寸づまりな感じ。成魚の特徴で胸鰭は稚魚も健在。しかし成魚に比べ体に対して小さく短い。ずんぐりむっくりしたアンバランスさが逆に可愛らしい。これでもしっかり浮遊して流れに乗っていた。

セミホウボウの稚魚

まだまだ出てくる生き物たちはまた来月もつづくのであった。

つづく。

ミッドナイトダイブ ストーリー2

そして2012年5月、龍馬を使っての最初のミッドナイトダイブのクルーズを行った。

5日間の日程で毎日深夜に潜ることをメインの目的とするクルーズ。まあ実際には母船はポイント近くのブイに係船したままになるので、クルーズというよりもホテルシップとしての意味合いが強くなるんだが、これはミッドナイトという特殊なダイビングをするわけだから仕方ない。

日中はゲストの希望で2本程度の通常のファンダイブを行いながらウォーミングアップをする。この段階でカメラの調整やシャッターのフィーリングをそれぞれ皆が確認する。軽めの夕食を取って20時。いよいよミッドナイトの準備開始だ。母船内でセットアップされるライトの数々。トラップ用の大きいものから各ダイバー用の小さいものまで、全部合わせると30台を超える。これだけ見たらいったいこれから何をするのだろうと思ってしまうほどだ。準備もそうだけど、これだけライトがあると充電も半端ない。前準備と同じくらい後片付けも手間がかかる。しかしこれが重要なのだ。

出発前にホワイトボードでのブリーフィングを行って21時。テンダーボートでポイントに移る。最初にガイドが入ってライトトラップを仕掛ける。ゲストはこの間にエントリーの準備をするのだが、水面でゆらめく水中からのライトの明るい光におのずとテンションも上がる。最初に打合せしておいた5分の時間を待ってゲストたちが我先にとエントリーしていく。テンダーボートのほぼ真下がダイブサイトだから迷うことはない。皆それぞれが自分のカメラを確認して潜降していった。

ミッドナイトダイブ

つづく。

ミッドナイトダイブ ストーリー

2010年5月のある日、友人であり魚類生態学研究者の坂上治郎氏からこんな電話があった。

「ねえ秋野くん、面白いダイビングあるからやらない?」

そして1ヵ月後の夜、僕は今まで見たこともない魚たちとの遭遇に度肝を抜かれた。

その深夜に潜るダイビングの名前は「ミッドナイトダイブ」。2晩で10時間。その2晩はおよそいままで僕が体験したことのないダイビングで、狂ったように潜りっぱなしになってしまうほどボルテージが上がってしまった。

通常のナイトダイブは水中ライト片手に動き回って生物を探すスタイルだが、僕らが行ったダイビングは集魚灯のような特殊な水中ライトを使用したライトトラップに集まる魚を観察するこのスタイルに、次から次へと現れる見たこともない魚たち。目も心も時間も奪われた。<これは面白い!>久しぶりに本気でそう思うダイビングだった。

ただそのダイブサイトがコロールから遠くてナイトのポイントとしてのアクセスが悪いこと、パラオの海は船の夜間航行標識が無いためスピードボートでの移動が困難なこと、往復の移動+ダイブタイムで5時間かかってしまい、ナイトダイブのプログラムとしてはあまり適さないこと、などの理由でコロールからのアプローチでゲストと潜ることはほとんどなかった。

その代わりポイントアクセスの良いペリリューで何度か開催していたが、結局その程度であまりメジャーなダイビングとはならず、どちらかというと「ちょっとマイナーな、コアな人たちの遊び」的な感覚だった。

その頃から坂上ジローさんと「サイトの近くに寝泊りできるクルーズ船があったら最高なのにな」と話していた。そしてその数ヵ月後、僕らの元に龍馬Ⅰがやってきた。ミッドナイトダイブにとってはまさに「渡りに船」ということになった。「じゃあ、やろうか」「やろうやろう」そういう話になった。しかし、実際にそれが行われるようになるのにはその2年後だった。

ミッドナイトダイブ

つづく

夏真っ盛り。

ジャーマンチャネルのクマザサハナムロ

8月だ。今年も残すところ5ヶ月となり、いよいよ毎日のスピードの速さを実感せずにはいられない。

先日、うちのオーナーの下田と年々自分の回りの時間の進みが速くなっているように感じるという話しをして盛り上がったところ、その感覚時間のスピードが速くなっていくのは当たりまえのことなのだという。

面白そうなのでフンフン聞いていたら、こんな仮説を立てていた。

例えば1歳の子供の1年は、彼が現在まで生きてきた一生と同等の時間の長さだ。つまり、彼が感じる1年の時間的な感覚速度は自分がいままで生きてきた一生と1:1となる。

対して40歳の人間は今まで生きてきた40年に対する1年なので、感覚速度が40:1となる。歳を取るごとに分母が大きくなるわけで、それだけ毎年速度が速くなっていくように感じるのだと。僕らがそう感じるのは理屈にあった感覚速度なのだそうだ。

なんだか理由をつけられると納得するような気になってしまう。

ジャーマンチャネルのマンタ

そんな時間の過ぎていくスピードが早い今年も夏真っ盛り。特にパラオはこの夏に世界遺産に登録されたから益々観光のお客さんが増えている。

沢山のゲストに訪れてもらえるのは幸せなことなのだろう。陸上はそんな賑やかさを醸すなか、少しずつ夏の風が吹き始めてきた。夏の風は水面の波を立ててしまうが海の中は変わらずアクティブだ。

今月の1枚目の写真はそんなジャーマンチャネルのクマザサハナムロの写真。水面近くからちょっとだけ煽って、クマザサハナムロの群れが流れる瞬間を撮った。一瞬で流れ去る群れは何度見ても美しい。そして太陽の方を向いたらそこにマンタがいたので慌てて撮ったのが2枚目。太陽を背中に背負ってマンタが回転するシーンはなかなか素敵だった。

今年はいまのところ南西側のブルーコーナー方面にもぼちぼち行けているし、夏は減ると言われているジャーマンチャネルのマンタも今年はグルグル調子がいい。もしかすると、現れる時間の問題だけであって、時期やポイントの問題ではないのかも知れない。

そんな今年の夏。時間の流れは速くても仕方がないが、海の調子良さはこのままのペースでいってほしいなぁ。

パラオオウムガイ

いよいよシーズンに入って全体に賑やかな雰囲気になっているパラオです。ブルーコーナーなどメジャーなポイントは日中は各ショップからのダイビングボートで混雑することもしばしばです。僕は繁忙期でもあり、そしてまたクルーズに乗りっぱなしなので1週間のうち陸に戻るのは半日だけという「ほぼ船員さん」状態が続いています。なのでたまにこの豪海の原稿をすっ飛ばしてしまうこともありますが、どうかご容赦をいただきたいと思います。ごめんなさい。

さて、最近僕らがハマっているのがこのパラオオウムガイ。

通常水深300〜500mに住むと言われているこのオウムガイですが、夜間は水深100m前後に上がってくるのだとか。その水深に母船からトラップを下ろして一晩待ちます。翌朝引き上げてトラップから開放してあげ一緒にダイビングをしながら観察をします。捕獲率は月の出ている時よりも新月のほうが上がるようで、大体1回のトラップで3〜10匹程度が捕獲できます。横に泳ぐのはゆっくりなオウムガイですが、潜降のスピードはなかなかのもの。目を離すとあっという間に深みに降りていってしまいます。もちろん観察をした後はリリースして海に戻してあげます。硬いカラで守られているオウムガイたちが次々に深海へ戻る姿を見ていると思わず一緒に行ってしまいたくなる衝動を覚えます。

さて、そんなわけで、今日はこれからゲスト乗船。明朝出帆です。今回もまたパラオオウムガイたちに会えると思います。パラオに来ているダイバーの人たちでもこれを生で見ている人は意外に少ないだろうなー。それでは、また来月!

パラオオウムガイ

再出発

約2ヶ月ぶりに原稿を書いています。皆さんお久しぶりです。

10月1日に龍馬Ⅰが突風に煽られて砂浜に座礁をするというアクシデントがあり、プロペラを破損したためセブのドックに修理に行っていました。

およそ1ヵ月半の休業をし、その間ご予約をいただいていたゲストの皆様には大変ご迷惑とご心配をおかけしました。

僕らは11月18日からクルーズを再開し、昨日までに2クルーズを終えることができました。

初日、2日目はゲメリスエリアに向かいブルーコーナーで魚の群れに囲まれ、ブルーホールで光のシャワーを浴びるようなダイビングをし、ジャーマンではマンタの群れの捕食を間近で見て、ビックドロップオフではドロップオフの壁をほとんど動かないマクロダイブを楽しみ、3日目はゲスト憧れのペリリューを潜り、日程後半はウーロンへ移動してカンムリブダイの産卵を狙うというルートでした。

天候にも恵まれ、また素敵なゲストに囲まれていい船旅をすることが出来ました。

今は次の12月3日の出港へ向けて準備を進めています。

この1ヵ月半はかなりキツかったけど、それでも頑張れたのは待ってくれているゲストがいてくれたからだと思います。

そして沢山の人たちの応援や励ましに、どれだけ助けられたか分かりません。

またこの事態で原稿を書くことが出来なかった僕に温かい励ましの言葉を掛けてくださった雄輔さん、そして、いろんな噂が出てくる中、沈黙をしながら応援をしてくれた仲間たち、本当に嬉しかったです。

ありがとう。

また僕は旅を続けたいと思います。

龍馬

海行きたいなぁ

9月です。赤道直下のパラオは暑い日々が続いています。オフィスからの港の風景は水面が太陽の光を受けてキラキラと反射してまぶしいほど。こんなに日オフィスに残っていなくてはならない自分が恨めしく思えてきます。

現在、所用でオフィスに残らなければならず、9月前半は海に行けなくなりそうなんです。

毎日PCに向かってあれこれ仕事をしていると、知らず知らずのうちに手が勝手に写真のファイルを開けて海の写真を眺めていました・・・。

ふと、見つけた写真がこの一枚。

これは前期にカヤンゲルへ行ったときに撮ったものです。ぼーっとこの写真をみていたらなんか癒されました。さて、もう少し頑張って、早く海に戻りましょう。

お仕事で疲れている方がいたら、一緒に癒されていただければこれ幸いです。

では、また来月!

カヤンゲル

冒険の旅へ

明日、約1ヶ月の特別計画のビキニクルーズを終え、龍馬Ⅰがパラオに戻ってくる。入港予定時刻は午前7時。入港管理局や税関の手配をして僕らは入港を待つばかり。ちょっと風が強いから予定よりも少し遅れた。船を待ちながら、ここ2ヶ月のことを思い出していた。

今年の6月からは船と共に日本の四日市に居た。定期ドックを行うため。龍馬Ⅰのような一般船舶は年に一度定期ドックを受けて、船体検査を受けないとならない。面倒だけどやらなければならない作業だ。僕らもドック中に現地に行って、自分たちでも船内の細かい修正や手直しをした。造船所に寝泊りしながらの作業期間は決して楽ではなかった。数日もすると、ドックの職人さんなのかガイドなのか、自分でもよく分からなくなった。まあ、忙しかったけど、充実してたかな。

こういう作業をしていると、ますます船に愛着も沸く。もう船が可愛くて可愛くて仕方なくなってくる。自分でも書いててアホだなと思う。でもアホみたいだけど本当にそういう気持ちになってしまうのだ。そう、以前、金澤機関長が言っていた言葉に「船は女性と一緒。一生懸命手をかけて、お金をかけてあげないと綺麗にならないし、ちゃんと動いてくれない」というのがあった。

あまりに上手い例えに思わず手を叩いてしまった。(笑)

そう、手間隙をかけてやらないとちゃんと動かない。綺麗にならない。じゃあ仕方が無い。ドックに入ってお化粧直しをして、綺麗になって・・・なんて変に納得。

そんな龍馬。8月13日からセカンドシーズンと銘打った通常クルーズが来年2012年5月までで37クルーズを行う。今シーズンはアンガウルよりも南にあるソンソロールへのクルーズが8本計画に入っている。新しいエリアへの挑戦する。

いままでもいろんな場所へ新しいことを求めながら潜ってきたが、アンガウル島から南は距離がありすぎて、どうしても行く事ができなかった。ずっと行ってみたかったけど、行けなかった。それが、今は出来るようになった。これって僕にとってはものすごいこと。また新しい冒険ができる。こうやって書いててもわくわくしてくる。さあ、しっかり明日から準備をして冒険の旅へ出発しよう。

龍馬、日本へ

5月13日 午前10時04分。
龍馬は定期ドックのため四日市へ向けて出港しました。

昨年10月から始まったこのクルーズ。最初の2ヶ月はクルーに本船に慣れてもらうためと、ゲストに見てもらうという意味で、クルーズ日程が短い自由乗下船クルーズを行い、そして12月から21本の定期クルーズを行いました。5日間の船上生活と2日間の陸上生活で、最初はリズムがつかめずになんだか変な感じがしていましたが、人間とは不思議なもので何本かクルーズをこなしていくうちに自然と頭も体も慣れていきました。

昨年までは大型ヨットでのクルーズを行っていましたが、龍馬はサイズも規模も違うので、最初は全てにたまげっぱなしでした。水を積み込んではその量に驚き、燃料を入れてはその量にまた驚く。食品も飲み物も、とにかく積み込む量が多いこと多いこと。さすがに初めて燃料の請求書を見た時には目が飛び出そうになりました。(笑)

立ち上げから今日まで、思えばいろんなことがありました。

例えば、風が強くてルートの変更を余儀なくされて急遽逃げ道的に考えたルートが意外に面白く、次のクルーズからはそのルートが別に天気が悪くなくても使うようになったりとか、ある時は生活用水のゲストの使用量が予想以上に多くて水が足りなくなりそうになって、急遽、水の確保に奔走したりとか、小さなトラブルも沢山ありました。でもなんだか出港する龍馬を見ていたらそういうのも全部「まあ、いっか」と思えるようになりました。大変だったけど、楽しかったなと。

そして本船は8月頭に戻ってきます。
次のシーズンはまたどんなクルーズが待っているのか、楽しみです。
龍馬よ、気をつけてドックから帰って来いよ。

春、新月の風物詩

こんにちは。月末をすっかり失念していまして今月は原稿が遅れてしまいました。すみません。

今、パラオは新月。(って、世界中みんな新月ですね)この時期のペリリューは定番のイレズミフエダイの季節。今回のクルーズでもいい群れが観察できました。

毎年繰り返される自然の営み。数万の群れが産卵を行う様は何度見ても感動します。来月も多少は群れるでしょうが、今年は今回がピークでしょうから、また来年この大群れに会える事を楽しみにしたいと思います。

僕らはまた明日出航です。それでは、また来月。

いつか一緒に

今回の震災でお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げると共に、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

未だ多くの方が大変不自由な生活を強いられていると伺っております。僕らもパラオ国内にて募金等、義援金集めなどできる範囲ですが本国への一助となれるよう活動しています。原発の不安等も残されたままですが、1日でも早く復興への道のり、そして被災された皆様の生活が元に戻るよう祈っております。

僕ら現地のガイドは海に潜ることしかできませんが、この場所でしっかりと自分たちの仕事をし続けようと思ってます。来たかったゲスト、来れなくなってしまったゲストが、また再びパラオを目指せるときまでこの場所に居続けること。それがプロとしての仕事だと思っています。

昨日、ゲストが言っていらっしゃいました。

「行くべきか止めるべきか悩んでいた。しかし自粛ムードは被災者にとって何の役にも立たない、傍観者の感情なんだろうと思うようになった。被害を受けなかった人は早く通常生活に戻って復興に貢献すべきだと思う」

それぞれの場所で、それぞれの人が、それぞれできる事を頑張っていくしかない。海外から見ていると、そういう感情の元、日本が「復興」という一つの目標へ向かっているように感じます。

どうか前を向いて頑張ってほしいと思います。外に居る僕らはそれしか言えませんが、でも心からそう思っています。

頑張れ、頑張れ、頑張れ、日本。

昨日イエローウォールに潜りました。

今年もカレンダー通り、イレズミフエダイは群れています。来年も再来年も、その先もずっとここに戻ってくるでしょう。

いつか、一緒に見に行きましょう。

イレズミフエダイ

夢を乗せて

可愛いゲストたち

先日、龍馬に可愛いゲストたちが乗船した。

朝8時半、コロール小学校の生徒30名が予定通りの時間でテンダーボートから乗り移ってきた。皆わくわくした顔をしている。パラオは車と同じくらいボートを使う国。しかし意外にも子供たちはボートには乗った経験はあっても、こういった一般船舶には乗ったことは少ない。そんな子供たちに龍馬乗船の経験をさせたいからと、この船を最初にパラオに持ってきたとき、是非にと希望していた社会貢献活動の一つでもある。「パラオの子供たちのためのクルーズ」は船主をはじめ、クルー皆の願いでもあった。

子供たちの乗船後、船内にて乗船のブリーフィングがはじまる。皆まじめな顔をしてクルーからの説明を聞いていた。一生懸命聞いていている子供たちの眼差しは真剣そのもの。ちょっと緊張しているのかな?とも思った。

しかし、そんな心配もつかの間。マラカル港から出帆して、30分も経つころには子供たちは笑顔でデッキを走り回っていた。天気は快晴、風は微風、という最高のコンディションの中、本船はゆっくりとロックアイランドの中へと進んでいく。目的地はパラオの景勝地の一つであるナチュラルアーチ。聞くところによると、子供たちの中にはここに来たことのない子もいたそうで、ちょっとした遠足にもなったようだ。

引率の先生も楽しそうで、「是非来年も開催してほしい」と嬉しいリクエストも貰えた。コースが折り返すころになると子供たちはブリッジで、船長に船長席へ座らせてもらいながら舵輪を回して喜んでいた。何人かの子供たちはしきりに「僕は将来キャプテンになる!」と言ってブリッジのクルーを沸かせていた。

およそ4時間のショートクルーズから戻るころ、子供たちは満面の笑顔を見て今日の催しが成功したことを確信した。最後の下船のときに言ってくれた、子供たちの「アリガトウゴザイマシタ」はきっとクルーの心に残ることに違いない。

そして、パラオの子供たちにすこしだけ、新しい夢を与えられたことを僕らは誇らしく、そして嬉しく思うのでした。

龍馬のデッキ

明けましておめでとうございます

2010年最後の朝焼け

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

これが2010年最後の朝焼けです。

2011年もきっと皆様にとって、すばらしい年となりますよう、南方より祈っています。

今年も素晴らしいダイビングを。

龍馬が届くまで 〜 四日市からパラオへ 〜

龍馬の外装工事が終わった8月の終わり日本事務所から電話が来た。「秋野さんも日本来て龍馬最初から見たほうがいいよ」一週間後、僕は日本へ飛んだ。どんな風に出来て行くのか?当然興味もあるし、実際にその現場に携わってみたいという思いはあった。しかし当初、僕はパラオで龍馬の受け入れをする担当だったので、予定外の呼び出しに少しばかり興奮しながらチケットの手配をした。

日本に入ったのは9月4日。ちょうどその日は龍馬が進水する日だ。内装は水面に浮かべて行なう予定だったので船内はまだ何も無く空っぽだが、外装工事は完了していた。外化粧が施された船体はまだ強い残暑9月の太陽を受けて真っ白に光っていて威厳すら感じさせる存在感があった。「これが龍馬かぁ」思わず唸ってしまった。

それから出港までの20日間はそれこそ怒涛の忙しさだった。船内工事が進んでいくのと同時進行で僕らは生活用品を買いそろえなければならない。工事よりも先に荷物が届いても運び込めないし、工事が終わってからでは遅すぎる、そのタイミングとバランスを取るのが大変だった。買い物だって桁違いの数と量。特に寝具とアメニティー関係は全て揃えるのに随分苦労した。他のスタッフはキッチン用品や船外用品などを揃えて、毎日のように100万、200万と買い物をするうちに段々金銭の感覚が麻痺していくような錯覚を覚えた。あれほど買い物はきっと僕の人生において、一番の出来事になるだろう。

内装工事も進む。造船所の人たちも一生懸命工事をしてくれるが、それでもやはり使う側の人間からみると違うと感じるところもある。一度作ったものを壊して再度作り変えてもらうというのも数度あった。申し訳ないと思いながらもそこは譲れないところでもあった。お世話になった鈴木造船の社長には随分と無理を言いました。「うーん」と言いながら全てやってくれた社長、感謝です。

パラオに向けての出港日は9月23日に決定していた。しかし、その前の18日にお世話になった人たちをお招きしての披露式典が行なわれる。つまり、17日までに全てを完了しなくてはならないわけだ。後半は内装工事と船用品の運び込みは昼夜兼行で行なわれた。クルーはそのためにホテルに帰るのが午前様になることも珍しくなかった。とにかく間に合わせなければならない、その思いしかなかった。

そんな苦労の甲斐あって、18日に披露式典は大成功だった。そして23日の出港の日。四日市のドックには造船所の人たちが沢山見送りに来てくれていた。造船所の人たちは寡黙な職人さんが多かったので、皆さんが来てくれたときにはなんだかとても嬉しかった。出港時間より30分遅れて朝8時30分、龍馬は桟橋を離れてゆっくりとパラオへ向けて出港して行った。僕は一足先にパラオに戻って今度は受入れの準備をしなくてはならない。本当は龍馬と一緒に回航してパラオへ行きたかったのだが、それは仕方ない。入港用の書類の束を持ちながら、少しの寂しさを胸に遠くなる龍馬を見送った。

それから10日後の10月2日、龍馬から衛星電話が入った。「あ、秋野?今PPRの前。これから入港するから」スタッフと一緒に国際港へ車を走らせた。沖からゆっくりと近づいてくる龍馬を見て、思わず目頭が熱くなるのを堪えられなかった。

天馬、龍馬

話は10年も前にさかのぼる。

当時、オーナーの下田が宮古島24ノースの渡真利さんところのヨット、Green Flash号を招いて冬の間だけの期間限定でパラオダイブクルーズをしていた。それがとても楽しかった。

その後そのヨットはTIDA againと船名を変えて、何年にも渡りパラオを訪れた。いつの頃からか、僕らの中では「いつかクルーズを」という思いというか、それが目標になっていた。

2008年くらいから少しずつ船を捜し始めていた。僕らの目的は船を所有することではない。お客さんと一緒に洋上で遊びながら生活できる空間が欲しかった。そしてそういうオペレーションをしたかった。だからそのための方法はどうでもよかった。

TIDA againのように毎年どこからか来てくれる形では年間スケジュールの自由度が少なかった。ならば自分たちでと考え、ヨットという実現可能な線で準備をしていた。そういう意味でもTIDA againはとてもよい経験を僕らに与えてくれた。TIDAはすばらしい船だったからなお更、僕らの夢は膨らんだ。そして、その時は来るのである。

話は突然。下田からの電話だった。

「あー、秋野? 船見つけたから」

最初は何のことだか分からず、「ああ、グアム用の新しいボートですか?」などと頓珍漢なことを僕は答えていた。

どうやらクルーズ用の船だということが分かって、そして船のサイズを聞いて再び驚いた。全長33m、全幅13mの大きさのカタマラン。僕らのターゲットしていたサイズは全長18mくらいまでのカタマランヨットだったので、最初そのサイズがあまりにも違うことに驚いた。

それからの1年間。あまりに違うサイズ、あまりに違う予算、あまりに違うスケールに圧倒され続ける日々だった。

「本当にこれが僕らでできるのか?」

そんなことを考えたときもあった。本当に多くの人たちの協力と好意をいただきながら、今その船は龍馬と銘をうけてパラオの海を走ることになった。

多くの人たちの夢を乗せて紺碧の海を走る龍馬。皆にとっての天馬となれることを願ってやまない。

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