南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

タリサイの樹の下で − 祖国の秋を想う ー

10月の声を聞き、日本はすでに秋真っ盛りという今日この頃である。

しかし、残念ながらここ南の島では、そのような秋の風情に身を置く事は出来そうに無い。赤道間近の、南の島に住む我々にとっては、まさにカレンダーの10月の声のみが、日本の秋の盛りを意識させる唯一の指標となっている。春しかり、冬またしかりである。四季折々の風情の中で暮らしていた日本時代が懐かしい。このように、南の島を訪れる旅人達にとっては、全く季節の変化を感じられそうにもないこの常夏の島ではあるが、現地に長く住んでいると、微妙な季節の変化を見て取る事ができるようになる。

3〜4月、マンゴーが枝もたわわに実る頃、南洋桜の大きなつぼみが一斉に花を咲かせ始める。春の到来である。マンゴーが、その年2度目の実を付け始める12月頃、北東の貿易風が徐々に強くなり、海もまた序々に荒れ始める。連日30度を越す熱帯の島に冬の季節の到来を感じるのが、この頃である。

そして、秋。

紅葉真っ盛りの日本の秋を、わずかに偲ばせる樹木がここ南の島にもある。日本名『モモタマナ』と呼ばれる、熱帯地方で唯一の紅葉木だ。殆どの樹木が常緑樹である南の島で、このモモタマナだけは、唯一真っ赤に紅葉する。しかも1年に2回、見事に紅葉した大きな枯葉が巨木を覆い尽くし、瞬く間に地面を赤く染める。

通称、アンブレーラーツリーと呼ばれるこの大きな潅木は、枝を放射状に広げ、熱い陽射しをさえぎり、風雨をしのぎ、南の島の人達に快適な憩いの場を提供してくれる。幹は硬木で建築材となる他、薬用、食用、染料など、広範囲に利用される貴重な樹木でもある。1年に2回実を付ける胡桃状のこの実は、子供達の数少ないおやつの1つともなっている。熱帯地方の海岸地帯によく生育し、街路樹や公園、家屋などの樹木として、とても重宝されている。そしてこの樹は、ムー大陸伝説資料の中にも登場する。その名を『タリサイ』と呼び、古代人の憩いの場となり、彼らの集会の場ともなったとも言われている。この『タリサイ』という名は、マリアナ地方での現在の呼び名でもある。

去年の10月、慰霊祭記念事業の一環で、記念植樹を行った。この時に植えた木が、この『モモタマナ』の苗木である。当初、日本から記念植樹の以来を受けた時、どの木が適当かと随分考えた。椰子の木や、ハイビスカスではありふれている。考えた挙句、このモモタマナを植える事にした。

その根拠となったのは以下の理由からだった。

まず、海岸に強い木である事。植樹をする場所は、日本方面を臨む北向きの海岸である。海岸や潮風に強い樹木でな ければならない。

次に、成長が早い事。慰霊祭への参加者は高齢者が多い。従って樹木の生長は早いほどいい。

さらに決め手となったのが、南の島の人達に親しまれ、いつも憩いの場を提供している事。かつて、このトラック島で生死を賭けて過ごした兵隊さん達。灼熱の太陽の下、厳しい作業が続く中、幾度かこのタリサイの樹の下で平穏の時を過ごしたに違いなかった。

そして最後の決断をくれたのが、この木が『紅葉樹である』という事だった。日本統治時代、トラック諸島に住んでいた多くの日本人達は、事有る毎に、遠く離れた祖国を想い、そして懐かしんだ。

3月になると真っ赤な花をつける鳳凰木に『南洋桜』と名づけ、祖国の桜を偲んだ。 夏島の山容に『トラック富士』と名づけ、日本を想った。

そして、毎年2度に亘って、真っ赤に紅葉する『タリサイ』の樹に、きっと故郷の秋を感じたに違いない。去年の秋に植えたタリサイの苗木は、2度の紅葉で亡き父達を迎え、一段と成長した姿で、今また日本からの家族を迎えようとしている。

チューク諸島
末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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