南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

戦争の遺産(2)

先月号では、チューク諸島、とりわけモエン島に残る戦跡・遺構の有効利用についてご案内した。

過去にこのページで何度もご案内している通りに、チューク諸島(トラック諸島)には、かつて旧・日本海軍の大きな基地が設けられていた。アメリカ軍のハワイ、マニラ・コレヒドール、そして日本軍のラバウルと並んで、太平洋4大基地のひとつに数えられたのが、このトラック環礁であった。その中心となったのが、トラック環礁内に浮かぶデュブロン島(日本名・夏島)と呼ばれている島である。島の大きさは、約9平方キロメートルで、小笠原・父島の半分でしかない。そんな小さな島の海岸の殆どが海軍の基地や要塞となり、そのなかに街が開けていたのである。

終戦の1年半前、2度に亘る未曾有の大空襲を受け、その基地と街は壊滅した。そして、当時停泊していた艦船群はことごとく沈められ、その沈船たちは今、皮肉にも、レックダイブのメッカとして世界中のダイバーの憧れの的となっている。そんな中で、傷つきながらもかろうじて戦災を免れた戦跡や遺構が幾つか残されている。今回は、現地人たちによって再び命を与えられた、そんな戦跡や遺構についてご紹介していきたい。

夏島の南側、当時の街の中心地だった所に、この島のオフィスがある。ちょっと時代的な建物で、小高い丘の上にその建物は建っている。

それもそのはずで、ここは日本時代に『公学校』と呼ばれた、現地の子供達が通った学校であった。奇跡的に空襲を免れ、完全な形で今にその面影をとどめている。そしてその下の大きな広場には、『都洛公園』(トラック公園)という2メートル程の石碑が建っている。大正天皇の即位を記念して造られた運動公園だ。石碑にはその当時の司令官の名で、その旨の碑文が刻んである。そして石碑の隣には、当時、ご幼少であった高松宮殿下お手植えの樹が、今も公園を見守るように大きな枝を広げている。

かつては、このグランドの下にも、大きな野球場があったが、戦争時代に軍の兵舎が建てられ、野球場は消滅してしまった。しかし、メーンのこのグランドはそのまま残り、今もデュブロン島の人達の唯一の運動場として、祭りに行事にと有効利用されている。先週の週末にも、夏島の全島大会が催され、未だ興奮冷めやらず、と言ったところである。戦争が終わって60年、ここは今も変わらず、夏島の人達の心の拠り所となっている。

5年ほど前、チューク地方を大変な旱魃が襲った。半年間ほど殆ど雨は降らず、島のあちこちで山火事や火災が起こり、パンの木やタロイモ、タピオカなどの作物は軒並みに枯れ果てていった。すぐさま、アメリカを始め、国連や主要国からは様々な援助の手が差し伸べられたが、島人達は水不足に悩まされ健康を害する者も多く、大変な社会問題になった事がある。

モエン本島では、あちこちでボーリングが行なわれ地下水の汲み上げが行なわれた。そんな時に威力を発揮したのが、日本時代の井戸の存在であった。環礁内の各島々には日本時代の井戸が随所に残っており、今も彼らの大事な水資源となっている。とりわけ、日本時代の中心地だった夏島には、当時沢山の井戸が掘られ、60年経った今でも、島人達の貴重な水源として利用されていたのである。中には、揚水ポンプをこれらの井戸に設置して、周辺の集落に水を配給した村も現れた。この井戸の存在が、当時の旱魃でどれ程の人達を助けたか計り知れない程である。

トラック環礁の中には、人が住んでいる島が約20島ほどあるが、主島のモエン島とこのデュブロン島を除いては、殆ど道路は無い。そして、一周道路となると、モエン島にも無く、このデュブロン島(夏島)だけである。デュブロン島には一周道路どころか、岡の上、半島の隅々まで、道路網が発達している。いわずと知れた、海軍時代の遺構である。そして今また、現在の夏島の村長は、日本時代の道路網を整備すべく精力的に動いている。道路の大事さを日本時代の遺構から学び取ったのである。

チュークは、小さな島々の集まりで、島の行き来にはボートが欠かせない。しかし、戦後60年経った今でも、島々の桟橋は殆ど整備されてなく、ボートの発着は自然の入り江や海岸線を利用しているだけである。そんな中で、夏島だけはやはり別格で、島の至る所にコンクリート製の立派な桟橋がある。それもそのはず、夏島は海軍の基地だったのだ。島の周りの海岸線には、当時、海軍が構築した桟橋があちこちに残されている。中には、空襲を受け半ば壊れているものも少なく無いが、現在の小型船舶やモーターボートの発着には申し分ない設備である。

この道路と桟橋は、今にして島の交通手段の中枢とさえなっており、変わらず水を湛える村々の井戸は、島の生活にとって死活問題とも言える水の恵み与え続けている。そしてかつての『都洛公園』(トラック公園)は、彼らの心の支えとなる行政や祭りの場を提供している。残されたものはわずかではあるが、日本時代に築かれた財産の一つ一つのかけらが彼らの生活の中で、60年の歳月が流れた今も深く根強く息づいている。

日本が息づく南の島

チューク諸島
末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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