南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  



海でよく使う言葉に、『ナブラ』と言う言葉がある。魚が海面に群れてバシャバシャやっている状態を言う漁師言葉だ。大概はカタクチイワシなどの小魚が、カツオ、マグロなどの大きな魚に追われて海面で逃げ惑っている場合が多い。このような時は例外なく、カツオドリなどの海鳥が海面に追われた小魚を狙って沢山集まってくる。このような状態をやはり漁師言葉で『鳥山・トリヤマ』と、呼んでいる。『トリヤマ』と『ナブラ』は、海で魚が群れている状態を表す同義語として用いられている。鳥が沢山群れていれば、遠くからでも容易にナブラを発見する事ができる。

ボートで走っていると、環礁の内外を問わずよくこのトリヤマに遭遇する。環礁の浅瀬に発生するトリヤマには、ヒラアジやツムブリの類(たぐい)が多く、外洋のトリヤマには、カツオ、マグロを始め、シイラ、サメ、カジキなど沢山の大型魚が群れをなして集まっている。海で釣りをするものにとって、この『ナブラ』・『トリヤマ』は、効率の良い釣りをするためにとても有効な指標である。その廻りには、エサとなる小魚を追って、沢山の大型回遊魚が集まっているからである。

このトリヤマもその規模によって様々で、海鳥数羽のものから、正に鳥山(とりやま)と言うべく何百何千という海鳥が海上を黒く覆う程のトリヤマに遭遇する事もある。皆さんは、先月号で紹介した岐阜の『お祭り軍団(ワカサギ軍団)』の事は記憶に新しい事と思う。このお祭り軍団最後の日、一生に一度会えるかどうかという凄いトリヤマに遭遇した。この時の模様を日本に残る軍団の残留部隊に知らせたメールがあるので引用してみよう。以下、そのメールの一部である。

午後からは、今夜再度のハタ鍋パーティーのために、ハタのライトジギングを行なう。2〜3匹の恰好のハタをあげたころ、又してもコケが、水平線を指差して、『マッチャン』『マッチャン』と叫んでいる。トリヤマだ。『マッチャン』とは、トラック語で鳥の事を言う。さっそくトリヤマに向う。今度のトリヤマ・ナブラは、遠目に見ても大きそうだ。マグロのナブラに特有の鳥が高く舞っている状態が見て取れる。案の定、近づいてみると、大きな魚がポンポン跳ねているのが見える。キハダマグロだ! 大きなキハダマグロが無数にジャンプしている。

さっそく群れの中にボートを突っ込んで、ジグ(金属のルアー)を投げてみる。すぐにヒットした。投げるジグ、投げるジグが確実にヒットする。しかし、直後には、猛烈な勢いでラインが引っ張られ、あっと言う間に切られてしまう。ジグを繋ぐのも、ラインを組むのももどかしいくらいに、次々とヒットしては切られてゆく。相手があまりにも大きすぎる。目の前に飛んでいるキハダマグロは優に30キロから50キロはある物ばかりだ。これでは、我々のタックルでは勝負にならない。白旗を揚げて引き上げる事にした。

最後に久木が、『しゃくだから、あの群れの中を突っ切って行こうぜ!』と言った。『よし、そうしよう!』と、ボートを群れの中に走らせた。その途端、一同の目が、サラのように水面を見つめている。走っているボートのそばを、無数のカツオが、キハダマグロが、物凄いスピードで泳ぎまわっているではないか!目の前では、相変わらず大きなキハダマグロが、我々をあざ笑うようにポンポンと飛び跳ねている。見渡す限りの海中には、食べられたイワシの群れの銀鱗がキラキラと宝石のようにきらめいている。

コケがボートを止めた! もうこうなったら、破れかぶれだ! 横家を除いた3人がありったっけの竿を放り込んでいく。ロッドがしなる。リールが泣き喚く。ラインはバチバチと音を立てて切れてゆく。見る見るうちにジグが無くなってゆく。船べりまで寄せたマグロもサメの猛攻にあってあっという間に目の前でむしり取られてしまう。やっとの思いで釣り上げたキハダはどれも10キロ以下のものばかりだ。軍団の道具ではこれが精一杯の勝負だ。私もかなりの大物を船端まで引き寄せたがそれまでだった。この時にはなんと、切れたラインにリーダーを結ぶのももどかしく、PEライン(道糸)直結のジグだった。それでも一発でヒットした。コケも狂って、短いテグスに繋いだジグを船べりから放り込んでいる。それでも来るのだ。

矢折れ、弾尽きて、呆然とする面々・・・
その後には、爽快な笑い声が船上を包んだ。
みんな楽しくてたまらない! と言った風だ。

そして、このナブラ狂騒曲には、もう一つ、超ど級の見物があった。クジラだ。20mはあろうかという巨大なザトウクジラが、キハダゲームに奔走していた私達の周りにずっと泳ぎ回っていたのだ。しかもこの巨体が、我々の乗るボートの縁を擦りながら、ザトウクジラ特有の大きなむなびれを垂直に立てて、目の前を通り過ぎて行った。みんなあまりの出来事に一瞬声も出ない!通常ならば、このクジラを見るだけでも一生に一度あるか無いかの出来事なのに、我々はこのクジラの動きにも、『おー、おー、』と、チラッと一瞥するだけで、これまた、一生に一度あるか無いかのキハダマグロのナブラと戦っていたのである。

楽しくて、楽しくてたまらない!!
みんなの顔は心の底からそう叫んでいた。

この夜の晩餐には、キハダマグロの刺身、鉄火丼、兜焼き、が並んだのは言うまでもない。そしてメーンディッシュには、ハタ鍋がテーブルの中央に据えられた。

今回、我々が体験したようなナブラは、自然界ではきっと日常茶飯事の現象としていつでもあるにちがいない。ミクロネシアが日本の統治時代だった頃、このチューク諸島を始めとして随所に鰹節工場が作られた。当時、日本全土で消費していた鰹節の、なんと60%をこの南洋庁で生産していたと言うのだから、その様子もおのずと計り知れようと言ううものだ。その当時、日本政府の手により、大々的な漁場調査が行なわれた。その時の話によると、トラック環礁の周りには、いつも海鳥が群れ、カツオに至っては、『まるで海の中から湧いてくるようだった』、と言う。

今もチューク諸島の人達は、小さなボートを外洋に走らせ、一日中トリヤマを追っかけてはカツオ釣りに興じている。トリヤマを見つける彼らの目は、まさに驚異的である。水平線の遥か彼方、チラッとした鳥の動きを的確に捉える。『トリヤマだ!』と叫んで、しばらくボートを走らせて初めて、日本人のお客様はトリヤマの存在を知る事となる。ナブラの話をするときの彼らの顔はいつも楽しげで、実に活き活きとしている。ナブラは海洋民族の生活には無くてはならない存在である。それを知らせてくれる海鳥もまた、彼ら海洋民族の一員とも言えよう。

大きなナブラに遭遇する度に海の偉大さに心打たれる。この海の資源が壊される事無くいつまでも続く事を願ってやまない。

ナブラの立つ海/海鳥と共に生きる人々
チューク諸島

末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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