南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  



チュークの夏のシーズンもそろそろ終盤にかかり、余すところあと10月の10日間を残すのみ。7月からずっと休み無く働き続けた体はもうクタクタで、とっくに限界を超えている。しかし最後の一週間は、友人たちのとの楽しい釣りとバカ騒ぎのウキウキする毎日が待っている。シーズンの最後を飾るにふさわしい楽しい旅の一幕だ。

彼らは岐阜のワカサギ軍団で、いつもは冬場のワカサギや、近くの海での小物釣りを楽しんでいる。それが徒党を組んで南の海に繰り出してきた、と言う訳だ。元来がお祭り好きな面々(オッサン達)が、陽気な南の海に繰り出して大人しく出来るわけが無い。釣りを思いっきり楽しみ、無人島での遊びを満喫し、現地人との交流を楽しみ、はたまた、祭りの果てにしこたま仕入れた海の幸を肴に、夜の宴会が始まる。

通常、冬の湖沼で小さなワカサギを楽しんでいる彼らにとっては、南の海で釣れる魚の量と大きさと、その明るさは、彼らの釣りの常識を打ち破るもので、これが騒がずにはおれようか、と言う、実に楽しい釣りを展開する。いつもは、釣りと言えば大物釣りのガイドが多い中で、実は私も、こんな釣りが大好きである。従って私も、この時ばかりは海の祭りのガイドとして、彼らと共にバカ騒ぎの輪の中に飛び込んで行くのである。

このお祭り軍団の遊びのリーダーが、最初にこのトラック島にやってきたのは、もうかれこれ10年程前である。彼は最初、奥さんや子供達を連れて、ごく普通の家族旅行としてやってきた。そして、家族でたっぷり南の島を楽しんだ。その時、ちょっぴり釣りをやってみたい、と言う彼のために簡単な釣りの準備をして、家族で南の島の釣りに挑戦した。初めて釣りをする奥様やお嬢さんのロッドに次々と魚がヒットする。大物がヒットしラインがぶち切れる。楽しい釣りを見つめる彼の満足そうな顔が今でも忘れられない。

その翌年、彼はワカサギ軍団を率いて南の島に遠征してきたのである。以来、その遠征は年中行事として今日まで毎年続いている。彼が、家族を連れて最初に来た年の翌年 − 軍団最初の遠征の時、彼は私に、こう言ったものである。 『実は去年は、下見に来ました!』 彼の深謀遠慮は見事に実を結んだのである。

チュークには、女性が喜ぶようなショッピングセンターや洒落たレストランも無く、ダイビングとフィッシングを除くとマリンスポーツと呼べるものすらない。ツアーの殆どが、このお祭り軍団のような海の自然を対象とした、アウトドア的な遊びが主体となっている。新婚旅行もしかり、家族旅行、グループの旅行なども、若者から年配者に至るまで、自然愛好家達の集まりと言っても良いほどに、彼らはチュークの海の自然を求めてやってくる。

7月から続いた3ヶ月の繁忙期間、このような人達を中心に、様々な旅行者達がチュークを訪れた。おのずと私の仕事の内容もまた、その旅行の形態に合わせて様々に変化していた訳だ。南の島のガイドと言えば、通常は専門的なガイドパターンが多い。たとえば、ダイビングはダイビングガイド、釣りは釣り専門のガイド、取材・調査などのコーディネーター、船舶代理業務、そして、通訳等々、、、である。ところが観光地としてまだまだメジャーではないここチューク(トラック)諸島では、そんな日本人の専門家などは皆無に近い。おのずと万屋(よろずや)的な知識と稼業が必要となってくる。

この3ヶ月の間に私が行なったガイド・案内は以下の通り、多岐に亘る。ダイビング、フィッシング、慰霊団、新婚旅行、家族旅行、グループ旅行、無人島泊まり&サバイバルツアー、船舶・客船手配、通訳、ガバメントミッションのツアー、雑誌・TV・新聞などの取材コーディネーター、沈船調査、等だ。

ダイビングは、一般のファンダイブから始まり、新聞やTV取材、沈船の調査に至るまで幅広い。沈船ダイビングでは、ダブルタンクを背負って、ステーションを3箇所も置き、減圧・浮上だけでも1時間に及ぶ事も珍しくない。水深に至っては、60〜70mの世界である。ガイド冥利に尽きる一時(ひととき)でもある。

最近はどのような地域に行ってもフィッシングボートには魚群探知機(魚探)やソナーが設置されている。ところが、ここチューク諸島でのフィッシングには、魚探やソナー等は一切使用しない。長年の経験と知識から来る勘が武器となる。海面の微妙な色の違いから、100mに至るまでの水深と海底地形を嗅ぎ分け、潮を見て、その時々の最良の釣り条件を釣り人達に提供する。釣り人達には到底見えない遥か水平線の鳥山・ナブラをいち早く発見する。魚探やソナーの画面だけを見つめて行なう釣りよりも、はるかにダイナミックな自然の釣りが楽しめると私は思っている。そして、大物釣りから家族で遊ぶ楽しい釣りまで、その釣果は大いに上がっている。

こうしてここ3ヶ月の間、上記のような様々なツアーの案内人として、五感を駆使し体を張ってのガイドをやってきた訳である。

30年前、私がここチューク(トラック)諸島に移住を決意した時、もっとも大きな要因となったのが、このトラック諸島の恵まれた自然と社会であった。自然が残るだけの何も無いこの世界で、思いっきり自分を試してみたい、という強い気持ちがあった。

私がトラック諸島に移り住む時、友人・知人は決って、こう言った。
『そんな何も無い世界に行ってどうする? なーんにも無いじゃないか!』

私は胸を張っていつも答えたものである。
『何も無いから何でも出来るじゃないか! 可能性は100%だよ!』と。

この時の気持ちと決意は、いつも私の胸の中にある。そして今私は、この思いの中で仕事をしている。30年間、トラック諸島の自然と社会の中で培った経験と知識は、チューク諸島にやって来る、様々な形の旅人達の夢の請負人として大いに役立っているのである。若くも無い体を酷使し、無理をする事もあるが、仕事を終えた時の満足感は何物にも替えがたい。これからも体の許すかぎり、チュークに住む一人の日本人として、旅人達の夢のお手伝いをして行きたいと思う。

海の自然にかこまれて
チューク諸島

末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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