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ミクロネシア連邦は、ポナペ、コスラエ、ヤップ、チュークの4州から構成されている。通常我々が、『ミクロネシア』と言う場合は、このミクロネシア連邦だけではなく、グアム、サイパン、パラオ、マーシャル、等を含めた広い地域を指す。

ミクロネシアと言われる地域は、太平洋の赤道周辺の島々や海域を3つに分けた1つの呼び名である。日付変更線から東側をポリネシア、その西側の赤道から南をメラネシア、そしてその北側がミクロネシアである。その呼び名は1831年フランス地理学会の取り決めにより国際的な正式名称として採用され、今日に至っている。地理的には、ナウルとギルバード(キリバス)までがミクロネシアの領域である。

地理上の発見と言われた大航海時代。このミクロネシアの島々もヨーロッパ人たちによって次々と発見されていった。グアムに総督府を置いたスペインはいち早くミクロネシアの領有宣言を行い統治はじめる。1898年、アメリカとの戦争に負けたスペインは、グアムをアメリカに割譲する。ハワイと同じくグアムはすでにこの時からアメリカの領土となったのである。

アメリカとの戦争に負け、没落の一途を辿るスペインは、当時のお金・100万ドルでグアム以外のミクロネシアを、ドイツに譲渡する。しかしドイツは、第一次世界大戦で敗戦国となり、ドイツのミクロネシア統治は15年で終わる。

第一次大戦で勝利した日本は、ドイツに代わりグアム以外のミクロネシアを統治することとなる。これが南洋信託統治領と呼ばれた日本のミクロネシア統治である。30年間に亘る統治時代、日本は現地人の教育と産業振興に力を注ぎ、殖民を奨励して多くの日本人がこのミクロネシアに移住した。1895年・スペイン時代の晩年、わずか15名だった日本人移住者は、日本統治の5年後にはすでに3500人にも及んでいる。

1947年、太平洋戦争に勝利したアメリカによってミクロネシアの統治が新たにスタートする。そして40年間のアメリカ時代を経て今日のミクロネシアとなったのである。現在のミクロネシアには、5つの国家と2つの地域がある。新たに発足した、ミクロネシア連邦はその中の1つの連邦国家である。

チューク(トラック)諸島とは、このミクロネシア連邦のチューク州のことである。その領域は、南北約1200キロ、東西約660キロの広大な海域にまたがっており、大小13個の環礁からなっている。その中には約200の島々があり、人が住んでいる島は約50島、あとは全て無人島である。

その中心がトラック環礁で周囲200キロ以上もある大環礁である。環礁の面積は神奈川県の面積にも匹敵する。このトラック環礁を通常『チューク』と呼んでいる。『チューク』とは、現地語で『山』を意味する。トラックの『チューク』という呼び名はここからきている。『トラック』というのは西洋人がつけた呼び名で、現地語では『チューク』である。

トラック環礁はそれ自体が、海底から4000mも聳える巨大な2重式火山で、外輪山が海に浮かんだ火山島なのである。外輪山に当たるところがアウトリーフの環礁で、その直径は60キロ以上もある。

我々が観光で訪れる島はこのトラック環礁内に点在する島々である。その中心がモエン島で、面積は約20平方キロ、小笠原の父島とほぼ同じ大きさだ。ただし、父島の人口が2500人位であるのに対して、このモエン島の人口は1万8000人を数える。チューク諸島のあらゆる島々から人々が集まっており、チュークの政治・経済・文化の中心である。朝夕には近隣の島々からボートに乗った島人達が様々な用事でこのモエン島の港に集まってくる。空港、ホテル、官庁、病院などの他、港周辺には何件ものスーパーマーケットをはじめ、銀行、レストラン、郵便局などが集中しており、市場にはローカルの食べ物が溢れている。昼間人口はおそらく2万人を超えるはずだ。

しかし、このモエン島以外の島々には、電気も水道も道路もなく、いまだ伝統的な自給自足の生活が主流である。急激な文明の波に押し流されつつある本島に比べ、これらの離島にはまだまだ南の島の自然や伝統文化がたっぷりと残されている。この周囲200キロのトラック環礁には、100に近い島があり、そのうちの20島は有人島である。他の80島余りはすべて無人島だ。これら無人島は全てが現地人達の所有物で、昔から独特の方法で海の自然を守ってきた。モエン島から1歩離れて、このような無人島や、島人達の生活する島々を訪ね歩くのはとてもたのしい。無人島に行けば原始の海の姿や景色を堪能できるし、離島に住む人々の暮らしには島人達の築き上げた伝統的な風俗習慣を体験する事ができる。

宇宙に点在する銀河や星々の如く、はるか彼方の海原に点在する環礁と島々。遠く隔絶されたこれらの島々には、文明の波もほとんど届かない。世界中が現代文明の波に押し流されていく中、チュークの海には文明の波が遠く及ばない島々が数多く点在している。地球の真の姿を守るため、神が創った島々のすがたかも知れない。島人達にとっては複雑な思いであるかもしれないが、海の銀河にまたたく島々がいつまでもけがれなく輝いてほしいと願う。

海の銀河
チューク諸島

末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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