南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

チューク諸島の海から

チューク(トラック)諸島に暮らす人達の朝は驚くほど早い。吸い込まれるような夜明け前の星空。東の水平線が薄っすらと赤みをさし、かすかな椰子の葉のそよぐ音にあわせてあちこちから小鳥のさえずりが聞こえ始める。清涼な空気の中でまどろむ頭の中に、小鳥のさえずりに混じって子供達のはしゃぐ音が聞こえ始め、やがて大人達の話す声が聞こえてくる。彼らの一日は小鳥の音に目覚め、太陽の動きと共に始まる。朝日が顔を出す頃には、何処から集まってくるのか、コーヒーを片手に雑談をしている男達をそこら中に見かける。彼らの朝の始まりだ。

私の住まいの近くには、船着場がある。様々な用事があってこのモエン島にやって来る人達のためのものである。土・日を除くほぼ毎日、近辺の島々から沢山のボートがこの船着場にもやってくる。太陽が顔を見せる6時過ぎからボツボツと姿を見せ始め、7時を過ぎる頃には大半のボートがすでに姿を見せている。彼らとて、それなりの準備をして家を出てくるのだろうから、この時間にモエン島に居るという事は、相当に早起きをしなければ間に合わない事になる。仕事で早起きをするというのは我々とて同じ事、まだ理解できる。ところがチュークの人達ときたら、仕事や生活のパターンには関係なく一様にとても早起きなのである。どの家でも誰でも、小鳥のさえずりと共に目覚め、太陽と共に動き始める。私の家の周りの民家でも、いつも朝早くから子供達が走り回り、大人たちはあちこちに集まっては雑談に興じている。何をするでもない、ただ朝のすがすがしい時間をのんびりと楽しんでいる様子だ。そのうちに陽が昇り、太陽がギラギラと照りつける頃になると、彼らは椰子の木陰やマンゴーの木陰でまたのんびりとした時間を過す。

私もたまには無人島でキャンプをしたり、現地人の家に泊まったり、ということがある。そんな時には、決まって朝も明けやらぬうちから起き出して、コーヒーを沸かし、朝の静寂の時間を楽しんだり、島の人達と雑談に興じたりする。しかし、これは、我々にとっては非日常の世界であり出来事である。家に帰れば、眠い目をこすりながら朝の時間との格闘になる。ところが、チュークの人達にとってはこれが日常で、早起きしたために疲れたとか眠いとかという事はない。

子供達の学校もなく、仕事も無い土曜・日曜の朝、私達はここぞとばかりに朝寝を楽しむ。ところが、チュークの人達にとっては土曜日も日曜日も早起きに変わりは無い。朝の6時30分、澄みきった空に教会の鐘が鳴り響く。時を告げる鐘の音ではない。ミサが始まる鐘の音だ。教会のミサは、土曜日・日曜日に行けない人達のために毎朝行われるが、やはり、土・日に行く人達が圧倒的に多い。毎朝出かける人も珍しくない。ミサに出る時は、明け頃から起き出し、水浴びをして体を清め、思い思いに着飾って自分達の教会にやって来る。教会に集う彼らの表情は一様に爽やかで、眠い目をこすっている様子は微塵もない。

そして彼らの夜もまた、驚くほどに早い。大きな太陽が水平線に沈む頃、まだ明るいうちに水浴びを済ませ、暗くなる前に食事を済ませる。一日中動き回り、遊び疲れた子供達は日暮れと共に床につく。電気の無い彼らの夜は、ランプやローソクの灯が貴重な照明となる。

私は長崎県の対馬出身で、私達の小さい頃には、まだ電気は左程普及していなかった。ランプやローソクの灯を囲んで、勉強をしたり、トランプに興じたり、と、ランプの下で家族団らんの時間を過した記憶がある。かたや、本を読むでもない、勉強をするでもない彼らの夜はとても早い。現金収入に乏しい彼らにとっては、石油やローソクとて、無駄に使うわけにはいかないのだ。こうして彼らの一日は太陽の動きに合わせ、日の出に始まり日没に終わる。彼らの動きはとても自然体で、決して動きに無理がない。歩く事一つとっても、どうしてこんなにゆっくりと歩けるんだろう? と、いつも不思議に思う。

ところが、この太陽の動きに合わせた生活のリズムが崩れる時がある。月夜の晩である。上弦の月から満月にかけては、日没からすぐに大きな明るい月が南国の夜空を照らしている。満月も近くなると南の島々はまるで白夜のごとく明るい夜を迎える。椰子の緑や海の青さえ見て取れる程で、新聞を読むこともできる程だ。この月の明かりに誘われて、チューク諸島の人達は証誠寺(しょうじょう寺)の狸囃子(たぬきばやし)よろしく、大人から子供まで、男も女も夜の更けるのも忘れて遊びまわっている。家のまわりに座っていつまでもおしゃべりを楽しんでいる女達。道路や家の周りで飛び回って遊んでいる子供達。ブラブラと島の中を歩き回っている若い男や女の怪しげなグループ。月夜のモエン島を車で走っていると、島中いたるところで、このような情景に出くわす。月の夜は彼らにとって、数少ない楽しい夜の娯楽の時間とも言える。通常の夜には決して見られない光景である。

最近、秘境やその生活に興味を抱き、辺境の島々や村々、あるいは山中を訪ね歩く事が多い。そのほとんどが現代社会とは無縁の自給自足の生活を営む人達の世界である。その中には、離れ島の粗末な小屋で暮らす人達があり、あるいは又、隔絶されたジャングルの中で悠然と暮らす人達がいる。そして、急峻な山間(やまあい)にある一軒家で小鳥のさえずりと共に生きる家族がある。電気も水道も道路も、もちろんストアーなどとは無縁の原始の世界で、正に彼らは自然に包まれ自然と共に生きている。中には、好んで離れ島や山中に移り住む人達もいる。聞くと、ここが好きだ、と言う。喧騒も何も無く、静かに自由に生活できるから、とも言う。椰子の木やパンの木をはじめ、海の幸、山の幸が彼らの生活の支えとなっている。急斜面のジャングルを切り開いた土地には、タピオカやサツマイモ、ヤムイモ、タロイモ、葉タバコ等が植えられている。彼らの大事な食糧であると共に、数少ない貴重な換金作物でもある。小さな谷あいから流れてくる水、孤島の粗末な小屋の屋根から得られるわずかな雨水が彼らの飲み水や遣い水となる。

彼らの生活には、電気もガスも必要ない。そして彼らの人生には本も世界の出来事も全く無関係だ。海にあそび、山にあそび、自然と対話して生きている。海で遊ぶ子供達は、遊びの中で海を学び、海からの糧を得る術(すべ)を覚える。山で遊ぶ子供達は、遊びの中で自然を学び、自然界から糧を得る術を覚える。素足で山野を駆けめぐり、椰子の木やパンの木に登り、海で泳ぐ。ナイフを片手に、火をあやつる。これらはすべて子供達にとっては楽しい遊びであり、同時に生きていく為の大事な技でもある。電気でもない、車でもない、テレビでもない、自然界で生きる彼らにとって大事なものは自然を会得するという事である。自然の流れに身をゆだね、自然と共に日々を過す。小鳥に目覚め、太陽と共に動き、月に遊ぶ。

月の動きに夜の推移を感じ、月の満ち欠けに日々の移ろいを想う。風を感じて天候を予知し、太陽の動きに一日の時間を知る。このような彼らの日常は、海洋民族である彼らの伝統的な航海にも似ている。

最近、憧れにも似た興味を抱き、辺境の地を訪ねる私だが、悲しい現代人の性であろうかどうしても一歩引いて見ている自分に気がつく。自分にはとうてい出来ない自然界での暮らしを、たまには体験もし、触れ合い感じながら、これからのチュークでの人生の糧としたい。

小鳥に目覚め、月に遊ぶ。
自然と共に生きるチューク(トラック)諸島の人達

末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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