八ック謎ナゾ生命体 豪海倶楽部  

八ック謎ナゾ・・・

先日、ゲストにこのコーナーの名前の由来について、こんなことを聞かれました。

「豪海倶楽部の「はっくなぞなぞせいめいたい」って、八丈空港に入っているHATと関係あるの??」

八丈空港のロビーの上には、確かに旅行サービスのHATという店があります。しかし、お世話になったことは一度もありません。それに…「はっく」と「はっと」じゃ、音も違うじゃんっ!!

しかも私としては、「はっく」ではなく、「はちっく」と読んでほしかったのです。テレビでやっている「アド街ック天国」に引っ掛けたつもりだったのです。皆さんは、どう読んでくださっていました??

私なりに、八丈島の良さを、ちょっと違う視点で紹介できれば良いなあと。今までは生き物にこだわって写真を撮ってきたのですが、観光ポイントもそれほど知られているわけではないので、これからしばらくは本当に「アド街ック天国」っぽく、八丈島の見所をご紹介してみましょうか。

トップバッターは南原千畳敷。

八丈島を形成する2つの火山のうち、新しい方の八丈富士から噴出した溶岩が海岸で冷えて作り出された溶岩台地です。目の前には離れ小島の無人島、八丈小島が見え、付近の水平線上に夕陽が沈みます。そのせいで・・・島の人が更新しているブログを見ると、載っているのは夕焼けの写真ばっかり。一度「今日は夕陽が綺麗そうだなー」と思った時に、急いで南原に向かって車を走らせたことがあるのですが、みんな同じことを考えているようで、南原に向かう車が何台も暴走していました。それ以来、天邪鬼な私としては、絶対夕陽なんか撮るもんかー!って感じ。

近くにはデイキャンプ場や海水浴場があるため、夏になると昼間も大勢の人が訪れます。島の人も島外の人も来るのに、意外と知られていないのが、この石像。ちょっと人目に付きにくい場所に、海へ向かって建てられています。八丈島に流された流人の第一号。宇喜田秀家と豪姫の石像です。

歴史が苦手な方のために(私も苦手)、超・簡単に紹介すると、宇喜田秀家は岡山城の城主だった大名で、豊臣秀吉の寵愛を受け、若くしてスピード出世したエリートでした。金沢の加賀前田家100万石から秀吉の養女となった豪姫を妻に迎え、子供にも恵まれていました。

秀吉の下、数々の合戦で功績をあげていたのですが、最終的に関が原の戦いで敗軍の将となったため、八丈島へ流されることになったのです。その時、豪姫は内地に残され、秀家と息子2人と従者たちだけが島流しになったため、夫婦は生き別れとなりました。驚いたことに、この宇喜田家、東京に戻ってきたのは明治時代になってから。そしてさらに驚いたことに、この間、豪姫の実家である前田家からずっと仕送りが続けられ、宇喜田一族(相当増えていたみたい)が帰ってきた時にも、住む家などを世話したようです。

その後、一族の中には再度島に戻った人たちもいて、浮田という姓に変えて今でも暮らしていらっしゃるそうです。

でも電話帳を見ると、浮田姓の方はほんの僅か。

石像の周りに人影を見ることは無いのですが、周りは綺麗に掃き清められていました。この数少ない浮田さんたちが、秀家の墓と共に、守り続けているのでしょうか。


水谷
水谷 知世

昭和40年代生まれ
兵庫県出身

一見、負けず嫌いで男勝りというイメージだが、実は繊細な女性らしい一面を持つ、頭の回転はレグルス一番!!の頼もしい存在である。(レグルス親方・談)

伊豆諸島・八丈島

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