沖縄周遊見聞録 豪海倶楽部  

番外編その2 『マンボウとナシゴレンとビンタンと』

僕は小さい頃から「海外に行くことはない」と決めていた。なんとなく怖かった。中学1年生の時に最初の英語の授業を受けたその瞬間から、将来は有能な英語堪能の秘書をつけるから外国語は必要ないと鎖国宣言をし、そのまま少年期を日本語どっぷりのまま暮らしていた。

ダイビングガイドの仕事を始めるようになって、やっと海外に目が行くようになってきた。その頃からバリという場所にはなんとなく興味があった。指先に筒のようなツメらしきものをくっつけて女性がゆっくりと踊る舞踏や、男たちがまとまってクチャクチャ言う集会(後にケチャという舞踏の一つだと知った)など、日本とは全く違う独特の文化や習慣、宗教のあるこの場所になんとなく惹かれていた。十数年前、石田壱成が「タイは若いうちに行け!!」とテレビで言っていた時に、僕は(タイじゃなくてバリなんだよなぁ)とテレビに向かって思っていたのを覚えている。でもこの頃はまだ英語秘書はつけるつもりでいたおバカな22歳だった。

それから十数年、チャンスは突然やってきた。ウチをご贔屓にしてくれているK夫妻がバリに行きたいと言うのである。なんと、僕がそのツアーのアレンジと、添乗、通訳をやってくれないかということだった。普通ならこういうプライベートに踏み込むスタイルの仕事はしないのだが、とても仲の良いお客様でもあり、バリには昔から興味があったので引き受けてみることにした。即席アレンジャーの誕生である。実を言うとインドネシアの焼き飯「ナシゴレン」というヤツを食してみたかったという「個人的目的」達成の為にOKしたことはナイショである。

引き受けたはいいが、バリはいったいどんなところで、どうやって旅をすればいいのだろう?僕の知っているバリの情報は指先に筒をつけて踊る女性と、クチャクチャ言う男どもくらいである。どちらも大して役に立たないイメージ情報だけだ。とても旅をアレンジするようなレベルのモノではない。こんな僕に頼むのだから、Kさん達もなかなかのギャンブラーだ。

困っていても仕方が無い。こういうときはコネを駆使して乗り越えよう。人生経験上、困ったときには人に泣きつくのがいい。早速、上司の知り合いの知り合いになるブルーシーズン・バリの豊間若葉さんに電話をした。初対面というか対面もしていない僕の無謀な希望に有望な回答をしてくれた若葉さん。段取りが良くてデキそうな人だ。電話で何度か話をして、日程とリクエストを伝えて「後は適当に」と丸投げしてしまった。アレンジャーとしてこれでいいのだろうか?とも思ったが、分からないのに分かった風であれこれ言うのは結果的いいことにはならない。これは僕も現地でサービスをしているので経験上知っている。こういう時は現地の人に「丸投げ」してしまうのが分かりやすくて気持ちいいのだ。だから旅のアレンジは5日で終わった。ある意味ナイスアレンジャーである。

バリに到着してデンパサール国際空港の迷路のような、ながーい廊下をひたすら歩いて外に出ると、すでに若葉さんと旦那のシラ君が迎えにきてくれていた。「秋野さーん」と呼んでくれる若葉さんの第一印象は小柄な可愛らしいひとだった。その後、旅をすすめるにつれて若葉さんの繊細で豪快な肝っ玉ぶりが発揮されるのだが、とにかくとても面倒見が良くて気立ての良い女性だった。空港のカフェでビンタンビールというバリの地ビールを飲みながら違う飛行機で到着するK夫妻を待つ。

旦那のシラ君は生粋のバリニーズ。若葉さん曰く「シラ君はSMAPのシンゴちゃんに似ているの〜」と豪語するだけあって、確かにいい男。優しいし、日本語も結構いける。彼の性格がバリニーズの気質なのかは分からないが、落ち着いていて優しさの滲んでいる顔立ちをしていた。その後、僕らは酒飲み友達と化すのだが、そうなるまでに大して時間は必要ではなかった。やはり、国際交流は“飲みニケーション”なのだ。一緒に酒を飲むとすぐに友達になるこんな自分が好き。

K夫妻の到着を待って、そのまま宿に入る。簡単に翌日の予定を聞いてその日はすぐ寝た。翌日はサヌールからのボートトリップ。場所はヌサペニダ。確か名前はクリスタルベイ・・・だった気がする。ターゲットはこの時期見られると聞くマンボウ。日程後半はダイビングサファリも組んでいたのでサヌールでのダイビングは3日間だけだったが、その内3回もマンボウには出会えた。うーん。でかい。体の上下に長く伸びた背びれと尻びれをゆっくり動かしながらクリーニングステーションでホバーリングしている。マンボウっていったい何を考えているのだろう。初めて見たマンボウはなんと表現したらいいのか、優雅とも違うし、癒しでもないし、でも海中で初めて見るマンボウは間違いないマンボウだった。あたりまえか。その大きさに驚き、何故そうなってしまったか分からない体形を見れば見るほど興味が沸く。話が飛ぶが今回のツアー中、サファリも含めてガイドのミチカ♂がいい仕事をしてくれた。ミチカは過去に3ヶ月間ほど八丈島に勉強に行っていた経歴の持ち主で、日本語がベラベラ。ベラベラ過ぎてバリ人と話しているという事を忘れてしまいそうになる。ツアー中いろんなことを頼んでしまったが、嫌な顔一つせずに対応してくれた。テレマカシー。

そうそう、忘れそうになっていた。大事なだいじな「ナシゴレン」だ。これが今回の旅のきっかけであり、目的であり、主食であり、3つの副題の一つではないか。バリにはナシゴレンと同じくらいバリ舞踊と言われる踊りがある。それがとても素敵で有名だ。優雅なものから激しいものまであり、いくつかは見た。が、僕にはそれよりもナシゴレンが重要なのである。なぜか?ダンスでは専門的なことが分からないので適当なことを書けないからである。そう、「日本人は米なのだぁ!」と訳のわからない理由をつけてナシゴレンへと無理やり引っ張っていく。いいのである。僕の中ではバリはナシゴレンの島なのである。目玉焼きをぐちゃぐちゃにして、サンバルソースをボタボタかけて一気にガツガツいただく。「最高」の2文字で表現が完了する。だから今回ツアー中、可能な限り朝も昼もナシゴレンを食べ続けた。ちなみにナシゴレンがどんなモノかは文章にすると面倒なので、ご自分で食べに行ってみるか、インターネットで調べてほしい。

2日目の夜。若葉さんとシラ君が町のローカルレストランに連れて行ってくれた。もう既に多少のビンタンが入っているので何を頼んでとかは覚えていないのだが、肉、魚、野菜と大きなお皿で何種類も料理が出てきた。Kさんの希望でバリの酒が出てきた。焼酎とも、ラムとも違うスピリッツ系の強い酒だった。名前を覚えていないのでバリ酒と呼ぼう。食う、飲む、話す、笑うを繰り返す。そのうち、その強いバリ酒が効いてきたらしく目の前が心地よく回る。オープンテラスの前では午後から降っている雨が止まなかった。明後日からのサファリを多少心配しながら、ビンタンとバリ酒でサヌールの夜は更けていくのであった。

おしまい 

あとがき

沖縄周遊見聞録も「沖縄」という題名なのに沖縄ネタが4回で切れてしまいました。そんなに多くの島に行っている訳でもないのに、考え無しで6回も連載を引き受けた僕が悪かったんです。ネタが無いものは逆立ちしても無い。無い袖は振れないのであるから開き直って5回目からいきなり海外ネタで何とか連載を終えることが出来きました。今思えば、昨年2005年は本当に様々な新しい出会いがあった年でした。この体験と、出会った人たちとの関係は、これからの僕にとってかけがえのないネットワークとなるだろうことを信じて止みません。最後になりましたが、それぞれの地において素晴らしい経験をさせてくださった各サービスの皆さんに感謝するばかりです。ありがとうございました。

来月からは久米島エスティバンの塩入さんがこの短期連載のコーナーを担当です。塩ちゃんの文章は個性があってとても面白いので僕も楽しみにしています。それでは塩ちゃん、後は頼んだ。


秋野
秋野 大

1970年10月22日生まれ
伊豆大島出身

地元の海でガイドデビュー、その後もっと熱くガイドができる海で仕事がしたい、とパラオへ。移住後、まずは魚を知るべし、と一年以上図鑑を枕にしながら毎晩眠る。自称カメラマニアで写真は好きらしいが、デジタルには全く歯が立たない。

ミクロネシア・パラオ

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