潜るコピーライターのアンダーウオーターズポエム 豪海倶楽部  

枚方大返し

水都・八百八橋。水に恵まれ、水運とともに栄えてきた大阪において、橋の存在は圧倒的だ。市内に約870本、JUN-Pが住む東淀川区だけでも約18本を数える。実際、チャリダー(自転車乗り)のJUN-Pが職場へ行くには、立ちこぎで2本の橋を渡るし、実家へ帰る時などは同じ川を二度越える。

毎日、嫌になるほど堤防を走って出勤しているくせに、休日になると淀川へ行きたくなる。その理由の1つが「赤川の鉄橋」だ。

昭和4年に開通した城東貨物線赤川鉄橋は、長さ約600m。幅の8.5mは貨物の単線路と歩道橋とで分け合い、東淀川区から淀川を横切り旭区へと架かっている。歩道橋は木製。日本でも珍しいこの鉄道橋は、B29の集中的空襲にも負けず、もくもくと物資を渡し続けた。人が渡れる。自転車も渡れる。ところどころ木が割れて、板きれで補修されている。敷かれた木の隙間からは遙か足下の淀川が見える。ギシギシ言う。ビュービュー言う。線路とは2mと離れていないか?まるで根性試しのようだ。小学生の姪を連れて行ったら途中で泣き出してしまった。下を見ず、横も見ず、ただJUN-Pの背中だけを見て渡るように言い聞かせる。遠い昔に聞いた響きだ・・・。時空を越えるノスタルジアへの入り口。父とよく渡った想い出の橋である。

渡りきれば左岸。海の話なら右へ進むべきだろうが、申し訳なくも日頃の習性として左へ向かう。土手を走り、坂を見つけては「わーい!」と、河原まで急降下し、それをしたいがために、又、坂を上る。土手を走り、ワンドを見つけては又、急降下。距離を感じさせない旅だ。橋は渡るだけのものではない。城北大橋、豊里大橋、鳥飼大橋、鳥飼仁和寺大橋、淀川新橋、どの橋も力強く、その堂々とした佇まいは秘めた物語りの気配を発散させている。古いものも新しいものも、先人達の想いのたけが黙ってはいないのだ。気が付けば、右前方にヒラパー(枚方パーク)の観覧車が見える!枚方大橋だ。距離にしてどれくらい走ったのだろう?橋の欄干にデン!をつき、ちょっとした達成感を味わいながら水筒の茶を喫す。ずいぶん上流へ来たものだ。ここから笹舟を流したら、いつの日か・・、それとも、いつかの誰かに届くかもしれない。そんな事を考えながら馬首を返す。パタパタと風が頬をたたくようだ。ど、どうやら追い風に乗ってここまで来たらしい。帰路の果てしなさにゲンナリしつつも、もう一度あの鉄橋を渡る事を楽しみに、枚方大返しのペダルを踏む。


仲
JUN-P(仲 純子)

大阪在住ファンダイバー
職業:コピーライターとか

1994年サイパンでOWのライセンスを取得。

宝物はログブック。頁を開くたび、虹のような光線がでるくらいにキラキラがつまっています。

海に潜って感じたこと、海で出会った人達からもらった想いを、自分のなりの色や言葉で表現して、みんなにも伝えたいなぁ。。。と思っていました。そんな時、友人の紹介で雄輔さんと出会い、豪海倶楽部に参加させていただくことになりました。縁というのは不思議な綾で、ウニャウニャとやっぱりどこかで繋がっているんだなぁ・・って感動しています。どの頁がたった一枚欠けても、今の私じゃないし、まだもっと見えてない糸もあるかもしれない。いままでは、ログブックの中にしまっていたこと・・少しずつだけど、みなさんと共有してゆきたいです。そして新しい頁を、一緒につくってゆけたら嬉しいです。