ガイドのつぶやき 海辺のエッセイ 豪海倶楽部  

第一話 始まりはOKI縄(後編)

謹賀新年です。みなさま、お屠蘇な日々を過ごされていると思います。
また、一年が明けましたが、これからもよろしくお願いいたします。

それでは、第一話の後半をご覧下さい。

右斜めには、タッチューがポコンとある伊江島が見える。静岡から来たチームは皆でその島へ向けてヒタすら泳いだ。途中で、ヒレジャコを幾つか採りながら進んだ。半分まで泳いだような感覚がおとずれた時、誰となく引き返した。しかし、この中途半端さが、翌日トンでもないことを引き起こす。そう、僕は独りで伊江島を目指してしまったのであった。

半分まで行ったのなら、着くことはできるじゃないか! 僕の中に、起こった不満には帰りの事などなかった。ただ、あの島に行ってみたい、僕の力で行ってみたいという欲求しかなかった。9時頃にビーチに着いた僕は、頃合いを見計らってスタートした。生意気にショートジョンを着ている。夢中でフィンを蹴った。サンゴも熱帯魚も高速で過ぎ去る景色の一部でしかなかった。時間は分からないが既にビーチは見えない。波は確実に荒くなっている。昨日よりも近くまで行ったと感じた時、体を貫くような達成感と同時に、海の底に沈んでしまいそうな絶望感がおとずれた。

漁船が通った。乗せてくれると安直に思った。何を言っているのか分からないが、多分何処から泳いで来たのだと聞かれた感じがした。本部の海洋博のビーチだと言うと、引き返せと優しく言われた。素直に従った。波は更に荒く感じた。そして、何故あの船は僕を乗せて行ってくれなかったのか、考えた。僕は、認められたのだと思った。その思い込みが、3度目の脹脛の痙攣をも簡単に乗り越えさせてくれたに違いなかった。

とてつもなく長い時間が経過しているのが、太陽の位置で分かった。僕は、きっと捜されているような気がして、恐くなった。だから海岸に到着しても、ビーチの外れの岩陰に暫く隠れていた。なるべく誰かが見つけてくれるように、チラチラと動き回った。30分くらいで見つけてもらえた。当然のことながら、僕は遭難したことになっていた。怒られなかった。それが、事の重大さを物語っていた。ウミンチュウに認められたと思っていなかったら、絶対に泣いていたと思う。沖縄の海は、僕の命を奪わなかった。ウミンチュウは僕の行動を賞賛したと思いたかった。そして、ビーチで僕を探しまわってくれた沢山の日本人ダイバーとU.S.NAVYの人たちは、途切れなかった命の尊さに一様に安堵した。僕の愚行(冒険)は沖縄しか知らない。

以来、沖縄は秘密を共有し合う仲間のように慕っている。あくまでも、そして今でも、一方的に。


鉄
鉄 多加志

1965年生まれ
清水出身

生まれ育った環境が、都市部?の港湾地域に近く、マッドな環境には滅法強く、泥地に生息する生物を中心に指標軸が組み立てられている(笑)この業界では、数少ない芸術系の大学出身で写真やビデオによって、生物の同定や生態観察を行う。

通称「視界不良の魔術師」
静岡・三保

ダイバーズ・プロ
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