八ック謎ナゾ生命体 豪海倶楽部  

底土海岸物語

夏になると「八丈島って、どこか海水浴できるところってありますか?」と聞かれることが少なくありません。八丈島には「○○海水浴場」と名の付く場所が何箇所かありますが、内地の方が言う「海水浴できるところ」というのは砂浜を指していることが多く、八丈島ではレグルスの目の前にある底土海岸しか該当しません。八丈島は八丈富士と三原山が噴火してできた島ですから、基本的には島の周囲どこへ行っても溶岩がゴロゴロした磯の海岸。裸足で歩き回ったり、寝そべったりすることができません。島の子供たちは、洋服を着たまま、靴をはいたまま、崖の上から海へ飛び込んで遊ぶのです。

唯一の砂浜である底土海岸も、実は元々は磯の海岸。毎年大量に砂を投入して造る人口の砂浜なのです。この砂浜が賑わうのは7月中旬から8月末までの、たった一ヵ月半。この期間中だけは、海岸に設置されたスピーカーから音楽が流れ、東海汽船で到着した人たち、キャンプ場に泊まる人たち、水着姿の家族連れの笑い声で溢れ、夜には合宿に来た学生たちの騒ぐ声が聞こえてきます。

お盆の頃には、毎年恒例の花火大会が催されます。この日だけは、レグルス前の道路も年に一度の大渋滞。海岸前の駐車場はイベント会場になり、たくさんの夜店も出されるので、島の子供たちの楽しみになっています。打ち上げられる花火の数は少ないものの、芝生や砂浜に寝そべって見る、すぐ近くで打ち上げられる花火は大迫力。

話は変わりますが、皆さんの中で「回天」という言葉を聞いたことがある人が、どれだけいるでしょうか? きっと底土海岸でいっぱい遊んだ人たちを集めて尋ねても、ほとんどの方が知らないだろうと思います。私も数年前までは全く知りませんでした。

八丈島は、江戸時代には流人の島として知られていましたが、第二次世界大戦中にはアメリカが本土へ上陸する前に迎撃するための最終拠点と考えられていた場所でした。日本軍は、八丈島で敵に一撃を加え、何とか本土決戦を阻止しようと考えていたのでしょう。

「回天」とは、本土決戦を阻止するために海軍が用意した特攻兵器、人間魚雷の名前です。

この「回天」が終戦間際の昭和20年に、沖縄、九州、四国、近畿の各地方と、この八丈島に配備されました。八丈島の中では二箇所、末吉の石積基地と底土基地。この基地に配属された回天隊員の任務は、直径1m、長さ14.75mの「回天」に搭乗して敵艦に体当たりし、撃沈すること。発進時には車輪付の架台に載って格納壕の中で待機し、斜面に敷かれたレールの上を転がり下りて海へと入ってく仕組みになっていたそうです。

「回天」そのものは終戦直後に爆破されたので残っていませんが、格納壕だけは今でも残っています。この中に二基の「回天」が配備されていたのです。

奥には、爆破後に残ったものと思われる焼け焦げた金属の破片。

結局、実践で「回天」が発進することはなく、終戦を迎えることとなりました。今では出口は雑草に覆われ、外からでは、どこに格納壕があるのか見えにくくなっています。

「回天」が海へと発進していくための水路も、今ではすっかり治水工事が完了した小川になっています。ご近所に住む島の方の話では、その方が子供の時にはまだレールが残っていたそうです。

写真の右側下に「回天」が海へと発進するはずだった河口、左側上に東海汽船の発着所が見えます。

こうして戦争の痕跡は、目に見えるものも、目には見えない記憶も、少しずつ消えていってしまうような気がします。でも、最近でも当時回天隊員だった方々が、この格納壕跡を訪れることがあるそうです。その心中、察するに余りありますが、夏休み中に砂浜を求めてやってくる人たちとは全く違うことだけは確かです。

底土海岸は朝焼けが美しい場所でもあります。
朝日だけは、今も昔も変わっていないはず。


水谷
水谷 知世

昭和40年代生まれ
兵庫県出身

一見、負けず嫌いで男勝りというイメージだが、実は繊細な女性らしい一面を持つ、頭の回転はレグルス一番!!の頼もしい存在である。(レグルス親方・談)

伊豆諸島・八丈島

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