潜るコピーライターのアンダーウオーターズポエム 豪海倶楽部  

赤目四十八滝

一年で一番寒いと感じる2月が終わると、とたんに暖かい日が芽吹いてくる。寒さがじょじょに緩やかになってゆくのではなく、いかにも唐突に“寒い”が“暖かい”に隣接している事は不思議だ。ともあれ、暖かくなることは喜ばしい。どうにも水辺が恋しくなってしまい、陽気に誘われるまま出かけてみることにした。

行く先は、三重県名張市にある赤目四十八滝だ。
その名が示す通り、無数の滝を持つ渓流で、知る人ぞ知る山岳信仰の聖地である。役行者が修行中、滝から赤い目の牛に乗った不動明王が現れたという伝説から地名がつけられた。厳か、と表現するしかない深い渓谷は、伊賀流忍者の隠れ里であったとも云われている。日本古来の地名には謎が秘められていて興味深い。“隠”と書いて“なばり”と読む。これが名張の語源らしいが、この“隠”の文字にも多くの意味が含まれている。霧深い盆地だから、忍者の隠れ里だから、という説には充分うなずける雰囲気があるが、“自然の意思によって隠された聖域”と考えるのが相応しいように思える。だからこそ隠れ里になったのであり、だからこそ忍者が棲んだのであろう。周辺には現在でも濃い空気が満ちていて、 “気配を潜めている何か”を感じるのである。

入山口から望むと、気配は霧のように立ちこめている。胸が鳴っているのは、逸っているからなのか、圧迫されているからなのかはよく分からない。渓流沿いに歩き進むにつれ、ますます気配は濃厚になり、待ちかまえていたように滝が姿を現す。もう、ここで、、この姿に圧倒されてしまおう。圧倒されてしまいたい。件の不動明王が現れた滝で、赤目五瀑と称えられる名瀑、不動滝だ。明治の中頃まで、一般人はここより奥へ入れなかったらしい。人為的に布かれた禁制もあったのだろうが、行こうにも先に道がなかった。自然が滝を隠していたのだ。

この隠された聖域に、、立ち入ってしまっていいのだろうか、かなり迷う。けれども滝は拒んでいないように思える。入山した時から響く水音も、この滝の轟音もが心地よく、さらに奥へと私を導いているように感じるのだ。

ここに来るまでには、行者・霊蛇滝、この先には大日・千手滝・竜ヶ壺・陰陽滝、と信仰に因んだ名の滝が続く。まるで曼茶羅に溶け込んでいくような気分だ。勇気というよりは好奇心、そして “隠された聖域”へ“入る機会を与えられた者”という優越感に、私は高揚しはじめていた。

周囲を見ながら歩き始めると、渓流沿いに切り立った岩壁の荒々しさが目にとまる。今まで想像でしかなかった修験者や忍者の修行風景がありありと浮かぶようだ。ついそこの岩陰から忍者が出てきそうな気がして、覗こうと手を触れた。が、意外にもふんわりと柔らかい。苔だ。そう、豊かな水が、深い、深い緑を育んでいるのだ。見れば、石という石、岩という岩、荒々しい岩壁さえもが柔らかな緑の膜に被われている。包まれているのだ、ずっと昔から・・・。

老木の根元に、舗道の裂け目に、ひっそりと息づいている苔の優しさを初めて知った。何気なく暮らしている日常の中で、知らずに過ごしてしまうもののなんと多い事か。心を澄ませて道を歩けば、あらゆる生の貴重さに気付ける。旅の醍醐味はそんなところにもある。

前方に、すんなりとした曲線を描いて水が流れ落ちている。その優雅な姿とは相反して、高さ30m、滝壺の深さ30mという豪快な布曳滝だ。大きな百畳岩の上を通り過ぎれば、岩肌を雫が滴り落ちる雨降滝などが続く。様々な滝のそれぞれに伝説がある。名前がないような小さな滝も、昨日訪れた恋人達の物語を重ねれば、明日からは伝説になっていくのかもしれない。

歩いても、歩いてもついてくる水の音。時にはささやかに、時には激しく、いつしか自分も流れているような気分になる。と、少し先から一際大きな轟音と、先をゆく人達の歓声が聞こえてきた。険しい階段を上り下りするのがもどかしくも楽しくもあるひととき。視界が開ければ、光と、息をのむほどの圧巻に出会える。赤目五瀑でも代表的な荷担滝だ。高さ8m、水量が多い。中央の巨岩から二手に分かれて落ちる水…。まさしく巨岩が両肩に滝を担っているといえる姿だ。この巨岩に宿る精霊の、その役割は如何なるものか?巨岩も水もこの滝では悲しく感じられる。それほどまでに美しいのだ。

最後の滝に辿り着いたとき、靴を脱いで足を浸けてみた。
ひんやりとした水がなんとも心地よい。皮膚一枚に隔たれた体内の水が喜んでいるような気がした。この渓谷に足を踏み入れた時に感じた“何かの気配”、それは水の気配だったのかもしれない。水が持つ、耳には聞こえない、目にも見えない波動のようなもの。血潮と共鳴し、魂をふるわせるものだ。

遠い昔から知っていたようなこの感じ。
帰り道、私の中のさざ波はおさまらなかった。
帰っても、眠っても、今も共鳴りしたまま。

現時点、生きている限り私たちは脳という媒体を経て思考するしかできないと思われる。どうしても思い出したい事や、知りたい事。例えば前世や、決められているのかどうか解らない宿命的なものの仕組み、自分が生まれてきた意味。。これらはもし知っていても未開発の脳では訳せない。しかし、私の魂が身体を離れて、脳という媒体から解放された時には簡単に思い出せるのかもしれないと思っている。けれども、生まれては滅び、また生まれて還るくり返しの中で、これもまた“自然の意思によって隠された聖域”なのだろうか?

だとしても、私に好奇心は抑えられない。
いつか。そう、近いうちに、あの滝の源を訪れてみたい。
水源から湧き出た水が、滝となり川となり、名張川・木津川・淀川を経て大阪湾に注ぐ。海に還って、また生まれてくる。その壮大な旅の始まりと経緯を、是非ともこの目で見ておきたいのだ。きっとなにかが解るような、そんな気がするから。


不動滝

荷担滝

仲
JUN-P(仲 純子)

大阪在住ファンダイバー
職業:コピーライターとか

1994年サイパンでOWのライセンスを取得。

宝物はログブック。頁を開くたび、虹のような光線がでるくらいにキラキラがつまっています。

海に潜って感じたこと、海で出会った人達からもらった想いを、自分のなりの色や言葉で表現して、みんなにも伝えたいなぁ。。。と思っていました。そんな時、友人の紹介で雄輔さんと出会い、豪海倶楽部に参加させていただくことになりました。縁というのは不思議な綾で、ウニャウニャとやっぱりどこかで繋がっているんだなぁ・・って感動しています。どの頁がたった一枚欠けても、今の私じゃないし、まだもっと見えてない糸もあるかもしれない。いままでは、ログブックの中にしまっていたこと・・少しずつだけど、みなさんと共有してゆきたいです。そして新しい頁を、一緒につくってゆけたら嬉しいです。