南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

パラオの海から

パラオはここ数年で驚くほどの成長をしています。日本ほどシステムが熟成していないので、成長が早く感じるのは当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが。僕が来た当時は車も少なく、窓がなくたって、ドアがなくたってエンジンとタイヤが付いて動けば「車」として認められていました。現在は毎年車のチェックを警察署で受けなくてはならず、そういう楽しい車を見ることはなくなりました。スーパーマーケットは比較的大きなところもありましたが、品物は2週間に一度。へたをすると1ヶ月以上も入荷がないなんてこともザラでした。だから貨物が来ないときには野菜コーナーは空っぽ。遅れて入った船から降ろされる野菜の半分くらいは傷んでいます。それでも野菜は食べなくてはならないので半分溶けたキャベツを理不尽感じながら定価で買っていました。お客さんから「お土産買って行ってあげる」と言われて、「レタス」をお願いしたこともありました。そして密輸された新鮮なレタスを何もつけずに食べたのを覚えています。

今でこそ輸送技術が進んでスーパーの野菜コーナーには毎日きれいな野菜が並ぶようになりました。時代というのはすごいものです。日本との連絡手段は電話かFAXのみ。まだインターネットが普及してなくてEメールなんてとんでもない。電話代も高くて日本まで1分¥250くらいだったように記憶しています。たしかFAX1枚が$5でしたから。日本からアメリカ本土まで1分¥100!なんてKDDがコマーシャルをしているのを日本で見ていたころでしたから、パラオの通信事情の悪さには本当に驚きました。これも現在は1分¥120程度です。すごい進化です。

まだ日本語TVチャンネルはなくて(現在はNHK国際放送がON TIMEで見られます)日本の情報はお客さんが持ってきてくれる、読み終わった新聞や雑誌でした。お客さんが少ないときには、パラオ日航ホテルに行ってレストランに置いてある1週間遅れの新聞を見てました。


f8 オート E100VS

そんなパラオに僕が来たのは1997年。今年で足掛け7年目に入りました。世界の最先端の国、日本から来た僕には信じられないことばかりのパラオの生活。そんな僕に、お世話になっていたAN`S DIVING SERVICEの長野さんが「あきの〜、そんなの受け入れなきゃ仕方ないよ。それがこの国なんだから」という一言で開眼したというか、「そういうものなのだ」という諦めとも、納得ともいえない理解の仕方があるんだってことを学びました。

さて、「新入り」というのはどんな世界でも給料は安いもので、残念なことに僕もその例外からは外れていませんでした。ペーぺーの僕の給料からアパートの家賃(パラオのアパートは高いです。1DKで安くても$500〜600)を払うと手元にはほとんど残りませんでした。で、毎月末に考えるわけです。「今月はどうやって生活しよう・・・」と。

月の初めは順風満帆。ビンボーでもそれなりにお金はあるし食材も買えます。とりあえず食べ物と水(パラオは水も買わないといけないんです)があれば何とかなりますから。毎日ログと一緒にその日の出費も付けていました。「今日のブルーコーナーは難しかったなぁ」と書くのと一緒に、「あー今日は$30も使っちゃったぁ」なんてつぶやいて。(笑)だからパラオ初期の秋野ログは、下の数行は家計簿として使っていました。(笑)

そしてケチケチ生活のエキスパートとなっていくのです。 最初は本当にどうやって生活したらいいのか分からなくて使いすぎていました。月末になるとお金がなくなるので仕方なく自分の貯金を下ろすのです。完全な赤字です。でも人間は「無ければ無いで何とかする」サバイバルな生き物でした。そのうち貯金も底をついてくるころになると、やりくりできるようになってくるのです。そのコツは、

  1. 仲間みんなで持ち寄り
  2. 先輩や、長野さんの家に転がり込む
  3. パラオ人から魚やタロイモをもらう
  4. KCさん(現 居酒屋TOTOTOのマスター)のところに行って、タダご飯を食べさせてもらう
  5. 釣りする
  6. 断食(笑)

(1)〜(4)はよくやってました。(1)当時いた、僕ら新人ガイド仲間はいつも集まり、1人$3〜5を出し合ってみんなでご飯を作るわけです。一人一人の金額は少なくても皆で集めると結構な金額。それでカレーライスやうどん、焼きそばなんか作って食べてました。おなか一杯になります。これで1週間はOK。その次に多かったのが(2)。AN`S長野さんの奥さん、雅子さんがいっつもご飯に呼んでくれました。「秋ちゃーん、いっぱい食べなさいよ」と言って。長野さんは「あんまオレのビール飲むなよ」と言いながらタップリ飲ませてくれました。これでさらに月の5日はご飯の心配なしです。そして違うショップなのにブルーマーリンの山崎さん。よく飲みに連れて行ってもらいました。いつも「ご馳走さまでした」しか言えない僕に「いつか秋野が偉くなったら、今度は秋野が若いやつらに飲ませてやれよ。俺らもそうやって先輩にしてもらったんだから」という山さんの言葉に、男心にカッコいいと思いましたね。ですが未だに長野さん、山崎さんにはご馳走になっています。(笑)

そして(3)。この辺りから僕の中の食料不足緊急行動計画スタートです。パラオではいつもあちこちでパーティーが開かれていまして、そこに行けば必ず食べ物にありつけました。南国独特の大らかさというか、誰が来ても快く受け入れてくれるんですね。「ほら、ビール」とか「はい、BBQよ」なんて。またお腹一杯です。さらに仲の良いパラワンはことあるごとに「Akino!魚がたくさん取れたから上げるよ」とか「Aki!タロイモ持ってきてやったよ」なんて差し入れまでもらって、パラオの人は優しい親切な人が多いです。で、(4)のKCさん。パラオに来たことある人なら一度は行ったことがあるでしょう?大きなショッピングセンターの前にある「居酒屋TOTOTO」。そこのオーナです。当時KCさんはまだ別のお店で働いていましたが、よく電話がかかってきて「秋の〜、メシ食ってないんだろ?食いに来いよ」って呼んでくれるんです。僕はいつも「お金がないから行けない」と言うと、「気にすんな!出世したら返してくれ」と、これまた“たらふく”食べさせてもらいました。そのうち月末になると「KCさん、お金ないんだけどぉ」って電話かけると「おお、いいよ、来い来い」って。KCさんはそうやって若いガイド達みんなに食べさせてくれていたんです。僕は一生KCさんには頭があがりません。後は(5)の釣りをしたりして。(6)はほとんど無かったですね。(笑)

月末は“米びつ”も空になることもザラで、真面目に明日からの食べ物を考えたこともあります。でもここは南国パラオ。いつも誰かに助けてもらっていました。相互扶助というか、人を助ける精神が根付いているんですね。この相互扶助を表す面白い習慣がパラオにはあります。昼間、子供達は皆で集まって遊んでいます。お昼ご飯の時になるとその子供達はその辺の家に勝手にドカドカと上がりこみ「お昼なにー?」と聞きます。すると奥から「今日は**よー」と返事が返ってきて、子供達はそのメニューが気に入ればその家でお昼ご飯にありつくわけです。もし気に入らなければ「じゃ、また来るよー」と言って次の家にドカドカと行くわけです。各家庭は子供達のためにお昼を用意してあげるんですね。当然、村の中には貧しい家もあります。子供にはひもじい思いをさせない、子供は村の宝と考える、この精神というか、この話しをはじめて聞いたときには感動と同時にビックリしました。今の日本では考えられないですよね。

でも、用意していたけど子供達が来なかった家はどうなっちゃうんでしょう? ね? 不思議でしょ? 答えは、夜に大人達が食べるんですって。なるほどね。パラオのお父さんの夕食は、実は子供達のお昼の残り物だったんですね。

そんなパラオですから、この(1)〜(6)を自然に(必要に迫られて?)していたらお金はかかりませんでした。(笑)じゃ、お金貯まるじゃん。と思われるでしょう? その少しでも残ったお金はフィルムと現像代に消えていくのでした。結局、月末はビンボー生活なのです。

そんな中、僕ら若いガイドの財布に大打撃を与えるのがお客さんと食事でした。もちろん割り勘自腹です。お客さんから「一緒に夕食行きませんか?」と誘っていただけるのはガイド冥利に尽きること。楽しくないガイドや、いいダイビングできなかったガイドとは食事に行かれませんよね?つまりお客様から評価していただいた結果の「光栄なこと」な訳です。そのお誘いはとても嬉しい。しかし僕ら新人にとってその夕食の2〜30ドルは大金です。声をかけていただいた段階で、財布の中で10ドル札に羽が生えてパタパタ羽ばたいているのが分かるようです。(笑)さすがに月末は「ごめんなさい、お金がないんでちょっと・・・」といってお断りすることも多々ありました。ですからちょっと提案、というかお願いです。現地の若いガイドを食事に誘う時に少しだけ気にかけてあげてもらえませんか。もしかすると財布の都合で来られないのかもしれないので・・・。

現在パラオで活躍している若手のガイドたちもきっとそんな苦労を笑顔の下に隠しながら日々頑張っているのだと思います。


f5.6 オート RVP 1段増感

そんな食べるにも困るような思いをしてでも、それでもこの海でガイドがしたくてしがみついていました。日本から出る時に「3年間は何があっても踏ん張る」と決めて飛び出してきたので、意地みたいなものもありました。今の日本では「食べられない」ことなんてまずありえないでしょう?でも、ここは海外。「明日は食べるものがない」という絶対絶命のピンチにほぼ毎月なってました。(笑)

「絶対絶命」も毎月になるともはやプロフェッショナル。南の国ですから、絶体絶命も楽天的です。ダイビングのプロとして勉強しながら、貧乏のプロにもなっていくのです。どんな状況下でも生き残っていくためのサバイバル。そしてサバイバルのための嗅覚は、水中で野生の勘を働かせるために必要なステップだったのかもしれません。ちょっと「こじつけ」ですかね。(笑)

そうやって研ぎ澄まされた嗅覚と勘を駆使して、今日もパラオのガイド達は張り切って楽天的に仕事をしています。皆、多少苦労や大変な思いはしていると思いますが、それでも今の自分を楽しんでいることでしょう。

この国の空気と、雰囲気と、島の人たちが教えてくれた「好きなことをしている時、貧乏は苦労でない」という発見。いつまでも大切にしたい僕の貴重な経験です。

最後にこの文中に出て来られた人たちの中には、今はもうパラオから離れてしまっている方もいます。しかし、もしこの人たちがいなかったらきっと僕は途中で挫折して日本に逃げ帰っていたでしょう。僕に食を与え、希望を与えてくれた友人や先輩に感謝します。

明日もまた海に出ます。これまで応援し助けてくれた人たちへの感謝と一緒に。


オート E100VS 2/3マイナス補正

秋野
秋野 大

1970年10月22日生まれ
伊豆大島出身

カメラ好きで写真を撮るのはもっと好き。でもその写真を整理するのは大キライ。「データ」が大好物でいろんなコトをすぐに分析したがる「分析フェチ」。ブダイ以外の魚はだいたいイケルが、とりわけ3cm以下の魚には激しい興奮を示し、外洋性一発系の魚に果てしないロマンを感じるらしい。日本酒より焼酎。肉より魚。果物は嫌い。苦手なのは甘い物。

ミクロネシア・パラオ

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