ガイドのつぶやき 海辺のエッセイ 豪海倶楽部  

「視界不良の魔術師集団」-マッドダイバーズ-

世界中に点在するマッド(泥)ポイントに嬉々として潜り、しかも初記録や未記載種を見つけてしまうダイバーの集団! 視界不良の環境を、ものともせずに楽しんでいる姿は、一般ダイバーの目にマッド(狂気)にも映るらしい。

第一話 マッド=マッド

自己紹介も漫ろに、(全然してませんが)(^^ゞ早速本題に入らせていただきます。

一般的に「泥底」や「視界不良のドロドロシルト」は、ダイビングに不向きな場所とされています。しかし、水棲生物によっては逆に、最も心地良い場所だったりもします。最近、生物好きのダイバーから注目を浴びているのが、浅瀬・内湾・河口・どんろ泥の場所なんです。もちろん、普遍的に透明度の良い、サンゴが視界を埋めつくし白い砂&青い海は、ピカ1の人気に違いありませんが、この生命の源とも言える「異次元」の泥世界は、ダイバーの意識を更に、遠くへと運んでしまうのです。

中間的なダイバーの存在は否めませんが、大別するとダイバーの嗜好は、「極楽派」か「サド・マゾ混在派」にカテゴライズされるのです。「極楽派」は、ダイビングの王道を突っ走る所謂、中性浮力ほんわか癒されたい系と言えましょう。その対局に、自分を追い込んで喜びを感じている「サド・マゾ混在派」が位置しているのです。マッドダイバーは、この「サド・マゾ混在派」の究極型に属するのです。ダイビングは元来、重い装備、慣れない環境、ストレスのオンパレードなどに見られる様に、別世界を体験したいがために、かなりの重圧を乗り越えてするもんです。重圧を感じていない輩は、半魚人や余程ネジが飛んでいるか、塩漬けで錆いる人に違いありません(笑)。

半魚人に属する方々の中には、耳抜きのいらない人、窒素の溜り難い人、ほ乳類反射が使い分けられる人などが見られますが、いずれも意識的なものではありません。「サド・マゾ混在派」に一旦、話しを戻しますが一般論におけるサドは、痛い事を他者に行うことで、相手が苦悶の表情を浮かべるのを見て悦楽?快楽を覚える人の事を指します。対してマゾは、痛い事をされる、あるいは従順である自分に対して、快楽を得ているケースが考えられます。別の言い方をすれば、サドとマゾには主従関係が存在しているように考えられます。

澁澤龍彦に言わせれば、「認識が甘い」と言われるでしょうが、これ以上は世間一般の認識とかけ離れるばかりなので、この辺で妥協するとしましょう。この「サド・マゾ混在派」と言うカテゴリーの凄いところは、一人の人間が相対する人格を内在してしまうことにあります。つまり痛みを与える人間と、その快楽を享受する人間が同一なのであります。人間の趣向は様々であるから、「痛いのが好き」で自ら自分に痛みを与え、苦悶を楽しむ人もいるのだろうが、チョット引きこもりチックな状態ですね。ま〜、痛みではないが、辱めと言う意味に置き換えると、ストリーキングや露出狂がここにカテゴライズされる。ただし、これも2方向の解釈があり、辱めを受けると言うマゾ的なポジションと、相手が嫌がったり相手に恥ずかしさを与えるサド的な位置があるので、本人の性格によって別れてしまいます。

性癖の話しは、どこまでも広がって行くので、このへんでダイバーの立場に戻りますが、「サド・マゾ混在派」は、まさに自分のハードルを自ら高くし、そのハードルを如何に越えるか?あるいは越えられなかった自分を卑下し、次の対策を組み立てるのが好きな人と言えます。ここで注目したいのが、新たな解釈である「ナルシズム」の混在であります。実は、サドとマゾは一見、対局にある様に見えて、実はこの「ナルシズム」と言う部分で、共通項を持っているのです。こんな酷い事をしている自分。こんな仕打ちを受けている自分。両者の根底には、必ず自分が存在しているのです。究極は、自分の存在すら、消えて無くなってしまうらしのですが、盲目(自分すら見えなくなってしまう)の快楽は非常に危険なので、良い子は絶対に真似しないで下さい(笑)。

さて、ここで思い出して下さい。ダイビングと言うのは、最小のユニットであるバディダイビングシステムから成り立っています。しかし、次のように教えられませんでしたか?「最終的には、あなた自身の判断なのです」と。つまり、オーウンリスク(自己責任)に基づいて、行わなければいけないのです。ダイビングは、チームプレイでもなければ、集団でなければ楽しみを享受できないような、制限された遊びではありません。そして、遊びのエリアを超越する事が、いとも簡単にできる究極の遊びと言えるのではないでしょうか?

過去には、超越し過ぎて、自らの命を犠牲にしてしまう人もいましたが、この精神は、冒険家や登山家に似ています。冒険家や登山家の理論を借りれば、多分ダイバーが求めるのは、「深さ」でありましょう。記録と言う一つの極論の中では、走破距離や高度、ディープダイビングでは、深度が頂点の表現形態になります。この観点は、アスリート意識に立脚したものに他なりません。アスリートは、スポーツの世界においては、探究されるべき頂点なのですが、エクスプローラーの世界においては、「良い子は真似しないで下さい」の部類になってしまいます(苦笑)。

人間の極限を目指した時、跳ね返ってくるリスクは、補え切れないくらい膨大なものになってしまうからなのです。ダイバーにおける「エクスプローラー」は、テクニカルダイビングに代表される、ディープとケーブになるでしょう。否定はしませんが、欧米的な感じが否めません。それが悪いと言っているのではなく、自然環境を「制覇目標」においている点が、日本的でないと感じます。古来日本的発想に基づけば、「自然融合型」が農耕民族、ニッポン!チャチャチャ!なのであります。するって〜と、純粋アスリートは、日本人の不得意分野に属してくるのではないでしょうか?

では、日本人の得意とするのは一体何なんだ〜?それは自然と如何に分かち合うか?に他なりません。ここには、スポーツで言うところの障害競技が当てはまってきます。長らくお待たせしました。視界不良潜水を肯定するのに、こんなにも字数を使ってしまいました(笑)。え?どこが繋がっているんだって?先にも記述した通り、ダイビングは手枷足枷の遊びなんです。陸上では、何キロにも渡って得られる視界も、水中ではせいぜい50mが関の山なんです。これを突き詰めていくと、元々陸上環境よりも見えない状況に身を置いているのだから、本当に(あまり)見えなくてもイイじゃん!と言うことになります。

これをコジ付けと片付けるのは、簡単なことなのですが、少なくとも生物を探究する上で、通らなくてはならない門であることは間違いありません。その登竜門が、「視界不良潜水」なのであります。一般のダイバーに忌み嫌われ、レアの指標生物に好かれる「視界不良」エリア。ここを舞台に繰り広げられる、壮大なスペクタクル。そして、その案内人を務めるのが、「視界不良の魔術師」こと、鉄 多加志なのです。あんな透明度の悪いところで、よくもサービスをやっているもんだ?と感心されたり、逆に卑下されたり、評価はマチマチですが、訪れるカメラマンや同業ガイド、ゲストの反応は、すこぶる良好!三保の「視界不良」に飽き足らず、海外の「視界不良エリア」にも足しげく通う、究極の物好き!(笑)いや泥好き!(爆)2つの目で見えない時には、チャクラ(第三の目)を使って、生物を探し出す手法は、深海魚の感覚器官にも似る。だから、深海魚と縁が深いのかも知れないが、一躍三保を世界の三保に轟かせた「チョウチンアンコウ」との遭遇は、豪海倶楽部のオーナーをも唸らせてしまった。

これから、長々続く視界不良潜水のコラムは、読む人の精神を確実に、着実に冒していくに違いありません。


鉄
鉄 多加志

1965年生まれ
清水出身

生まれ育った環境が、都市部?の港湾地域に近く、マッドな環境には滅法強く、泥地に生息する生物を中心に指標軸が組み立てられている(笑)この業界では、数少ない芸術系の大学出身で写真やビデオによって、生物の同定や生態観察を行う。

通称「視界不良の魔術師」
静岡・三保

ダイバーズ・プロ
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静岡市清水区折戸2-12-18
Tel:0543-34-0988

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