ガイドのつぶやき 海辺のエッセイ 豪海倶楽部  

それぞれの後姿

「さよならだけが人生さ」という言葉を聴いたことがある方は多いと思うのですが、皆さんはどんな状況を連想していらっしゃるのでしょう?

私が描いていたのは、とっても古臭い、昭和初期の頃に撮影されたようなモノクロのワンシーン。霧が深い夜の港で、キザな男がタバコの煙を吐きながら言うセリフは

「だから俺に関わるのはよせと言っただろう。俺にとって、さよならだけが人生さ。」

今の若い子なら「ばーか」と言ってしまいそうな男の背中に向かって、「行かないで」と女が泣き崩れる。その声をかき消すように汽笛が鳴る。

古すぎかなあ?

この言葉、元々は漢詩の最後の一行を訳したもので、友と別れの杯を酌み交わしている時の心情を歌ったものだそうです。どんなに親しい間柄でも、人生に別れはつきもの。だからと言って、そんな人生を嘆いて悲観的になるのか、それとも潔く清々しい気持ちになるのか、解釈のしかたは読み手次第のようです。

私が思っていたような、ジゴロが女を捨てる時に言うセリフとは、ちょっと違うみたいでしたね。

それにしても、別れの時に見せる人の後姿。日本人って、この後姿に対する思い入れがとても強いように思うのですが、そんな気がしませんか? 人生を背負って歩くという言葉もありますが、別れの時、何も言わなくても、その人の背中が物語る。寂しさであったり、諦めであったり、希望であったり、決意であったり。母の小さく丸くなった背中、黙々と仕事を続ける父の背中、去っていく男の背中、新しい世界へ旅立っていく友の背中。小説にしても、映像にしても、絵画にしても、後姿で表現しようとしていることが多いように思います。

欧米人のように正面切って自己主張できなかった日本人特有の表現方法なのでしょうか?

魚の場合、大事なのは、正面でも後姿でもなく、横姿?

特にフラッシャーやハナダイの類は、求愛の時間になるとオスがヒレを開いて全身を大きくし、華麗な姿をメスに見せるべくその目の前を横切ります。その美しさや大きさは、横から見てもらわないとわからないのです。さらに、オス1匹に対してメスは数匹いるのが普通ですから、オスはメスの目の前を次から次へと横切っていかなくてはなりません。そしてその一瞬の度に、力の限り全身を大きく広げるのです。激しい求愛を受けて、メスは次第に産卵できる状態になっていくのですが、オスの姿が美しいからと言って、通り過ぎた後ろ姿を振り返って見るものはありません。

そんな、出会いと別れを毎日果てしなく続けているオスたちの後ろ姿を撮ってみました。

さよならだけが人生さ。
そんな声が聴こえてくる?

クジャクベラ

ルソンハナダイ

この子の場合は「撮っちゃ、いやーん!」って言ってます。

皆さんの後姿は、何かを物語っていますか?


水谷
水谷 知世

昭和40年代生まれ
兵庫県出身

一見、負けず嫌いで男勝りというイメージだが、実は繊細な女性らしい一面を持つ、頭の回転はレグルス一番!!の頼もしい存在である。(レグルス親方・談)

伊豆諸島・八丈島

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