南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

パラオの海から

ちょっと前の話になるのですが、タイガーシャークに囲まれたときの話です。タイガーシャークは和名をイタチザメといい、体にトラ柄の模様が入るのが特徴です。特に凶暴なサメとしても有名。食性は「何でもたべる」そうで、事故例の報告もある。パラオでは年に数回ジャーマンチャネルや外海のドロップオフポイントで目撃されています。

話は2001年の2月21日のこと。前日からお客さんのリクエストで「マンタが見たい」と言われていたので、マンタのクリーニングステーションのある「ジャーマンチャネル」にボートを走らせた。ジャーマンチャネルは内海と外海を繋ぐ水路(チャネル)で、潮の高さによっても変わるが、水路の横幅は約25m、長さが150m程のとても細長い水路だ。出口側はすり鉢状にだんだんと広く深くなって外海に繋がっていき、その出口側に僕らの潜るマンタのクリーニングステーションがある。

エントリーし、係留用ブイのロープ沿いに潜降しようとしたら、足元に大きな白い板が落ちているのが見えた。近づくと、なんとマンタが仰向けに転がっている姿。すでに柔らかいヒレの部分は全てなくなっていて、その代わりかじられたような歯形が残っていた。その時はまだこのマンタの攻撃者と思われる生き物は辺りに見当たらず、「なんで?」と「?」だけが頭の中に浮かんでいた。おっかなびっくりではあるが、好奇心も止まらない。近づき触ってみた。初めてのマンタの体は予想に反して少しザラザラしていた。鮫肌まではいかないが、もっとスベスベしているのかと思っていたので意外だった。口の中にはすべり止めのような細かい歯(?)が付いている。

食べたのはサメであろうことは体についている大きな歯型から分かるが、何故食べきらずに去ったのか疑問だった。疑問は尽かないがお客さんは僕の後ろで待っている。いつまでもその場にいるわけにもいかない。そのままダイビングを続けることにして他の魚を見に行った。この時はこの後に起こることなど想像もしていなかった。(仲間が食べられちゃったら出てこないだろうなぁ)という予想通りマンタは見られなかった。昨日までかなり良い確率で出ていたのでブリーフィングも強気に語ってしまっただけに困った。あのマンタが攻撃されたので他のマンタはどこかに逃げたのだろう。

水面に戻り、ボートにピックアップしてもらった後、同じブイに係留してお弁当を食べることにした。お弁当を広げて準備を始めた時、ボートの近くに浮上してきたチームが妙に騒いでいる。どうしたのかと聞くと「サメがマンタを食べている」とのこと。どんなサメ?見に行っても大丈夫?なんて話している間に、パラオ人のべエスが速攻マスクだけ持って船の後ろのタラップから水中を覗いた。一瞬おいて顔を上げたべエスが一言。

「タイガーシャークだ!」

なんとタイガーシャーク(イタチザメ)がさっきのマンタの死骸を食べているらしい。タイガーシャークと言えばヤバいサメの3本指に入る超一級のデンジャラスネタだ。写真撮りたいと思う好奇心と、僕も食べられちゃったらどうしようという不安とが頭の中で交差する。僕が戸惑っている間にべエスは素早く器材の準備を始めている。「行くのか?いかないのか?」という目で僕に問い掛けます。(・・・んんー行っちゃえ! 後は何とかなるだろう)と、腹をくくり器材を背負う。

すると腕に覚えのあるお客さんも数人、行きたそうな目でこちらを見ています。同じ写真を撮る人間として行きたい、撮りたい気持ちは良く分かる。置いて行くのはかわいそうに思う反面、ホントに安全を確保できるか疑問が残る。でも考えている時間はない。「行きたい人はついてきてもいいです。でも本当に危険なサメですから、何が起きても責任持てません。ご自分の責任で入ってください」さらに、「先頭に僕と、べエスがいます。この2人よりは絶対に前に出ないでください。頭を低くして姿勢を下げてください。それでは行きます」とだけ告げた。結局3人ほど僕たちについてくることになったが、いずれも経験本数も相当なベテランばかり。ボートからマンタの死骸まで約30mほどの距離。最悪、僕がどうにかなっても自分たちだけでボートに戻れるだろう、と判断して連れて行くことにした。

潜降は係留ロープからいくのだがいつもほどのんびりは入れない。中層にいるときは上下左右360度「がら空き」の無防備状態。ましてやマスクをしている分だけ陸上よりも視界は狭くなっている。タラップから水中を見渡して、OKだったら速攻で水底まで頭から一気に入る。全員が降りてくるまで姿勢を低くして、できるだけ周りに刺激を与えないように注意する。4人目くらいが入ってくるときに船の向こう側に大型のサメを見える。(これがタイガーシャークか・・・)僕たちが普段見るグレーリーフシャークなんかよりも大きいのが一目で分かる。約2.5倍はありそうな体長。胴回りはまるでドラム缶。「あの腹なら僕の体は入るな」と思った。軽い恐怖心から自然と手足に力が入る。スピードは速くないが、すーっと流れるように進むサメ独特の泳ぎ方で、船の向こう側からゆっくり向かって来る。サメは普段水平にしている胸鰭を興奮すると下向きに下ろすと言われている。目前のヤツの胸鰭が下がり気味になっているのを見たとき、思わず背筋がゾッとした。運良くなのか、このタイガーは手前のところで急反転し向こうへ泳いで言った。その間に残りのダイバーは降りてきたが生きた心地がしない。(長くは水中にいないほうがいいな・・・)その時、直感的にそう思った。

僕らからマンタの死骸まで約30mほどの距離。あたりにはサメや雑食の魚が蚊柱のように群がっている。グレーリーフシャークやネムリブカ、ツマグロ達は死骸の周りを回りながらタイミングを計ってかぶりつく。食らいついた後、頭を左右に思いっきり振って肉を引きちぎっている。15尾はいようか。そのアタックの間を縫ってカスミアジ、ロウニンアジ、バラフエダイやツムブリがちぎれかけた肉片に食いついている。大きい体を持つ彼らだが、すばやい動きでガツッガツッっと確実に肉片を取っていく。さらにその外側にはタマガシラやフエフキダイがたむろして、彼らが食い散らかした細かい残骸をついばみ、一番下にはベラ達が最後のおこぼれを逃すまいと機敏に泳ぎまわっていた。

(・・・凄い)怖かった。死んだ者は生きている者のために餌になる。感情や哀愁は一切なく、そこにはただ「残った者が生きていくため」だけの弱肉強食の世界。非情なる自然界のルールを見た気がした。ほんの1時間ほど前の状況とは全く違う。目の前で起こっている事態に思わずつばを飲みこんだ。

間髪入れずに奴が現れた。明らかに他のサメ達よりも数倍大きな体。胴回りはドラム缶ほどもある。体中に入るトラ柄の模様が水面から差込む光で動いているようにすら見える。大きくはないが真っ黒で無感情な目がこっちを見た。目が合った瞬間、背筋が凍るような気がした。何の感情も持たないような印象を受けた。怖がっている割に自分が冷静なのには驚いた。人間と言うのは、いざ覚悟が決まるとそんなものなのかもしれない。

ゆっくりと大きな円を書くようにしながらマンタの死骸にアプローチしてくる。その円はグレーリーフシャークのものより大きい。ゆっくりだが胸鰭は下がっている。明らかに狙っている証拠だ。

ガツッ。音とともにマンタの死骸がゆれる。あたりに砂煙が舞う。一噛みで、そして確実に奴は肉を食いちぎった。力も、あごの強さも、歯の鋭さも他のサメ達とは桁違いだ。体長も、さっきの個体よりも明らかに大きい。別個体ってことは少なくとも2匹以上、いや、それ以上の複数匹が周りにいるかもしれない。そう思った瞬間あたりを見渡した。いや、見渡さなければ気がすまない。いつ他の個体が頭上を通るかわからないからだ。もう1尾右手の浅場からやってきた。やはりゆっくりそして確実にこの場所へと向かってくる。最初に見たタイガーとほぼ同じ3mほどのサイズだが、この個体のあごは曲がっていて片方の胸鰭も大きく下側に折れ曲がっている。また別個体だ。

(マズイな・・・)こうなってくると、いつ、どこから来るか分からない。1回シャッターを切っては周りを見渡す。そんなことを繰り返していた。沖にまた1尾、今度は2mほどの子供のタイガーを見つける。子供でも2mもあるのだが、目の前にいるやつらが凄すぎて、もう2mくらいでは驚いている余裕がない。よく見ると体に一切の傷はなかった。やはり若い固体だからか。

(マズイことになるかもしれない)確認できただけで4尾のタイガーシャークが僕らの周りにいる。この手のサメは捕食をするとき集団になると、他のサメよりも早く食べねばという意識が働き、あたりにあるもの何でも噛み付き始める“狂乱索餌行動”をとるようになると聞いた事がある。下手をすればこっちも被害を被る。

マンタの死骸まで約12m。ニコノスの15mmレンズで撮るには遠すぎる。このレンズは人間の視野よりもかなり広く写る。実際の距離よりも遠く感じてしまうので、はっきりと撮るためにはもう少し近寄らなければならない。もう少し前へ、近くへ行きたいのだが、それ以上はお客さんを連れていくにはリスクが高すぎるように思えた。

自分達が置かれている状況が想像していた以上にマズくなっていることに皆気がついていた。一緒についてきたお客さんたちも、それより前には出なかった。長年のダイバー経験が彼らに何か警告を感じ取らせているのだろう。

・・・お客さんを連れてこれ以上近くには寄れない。そう判断し別行動をとることを決めた。隣にいるべエスに

「俺、離れるけどいいか?」と目で聞くと
「マジで?行くの?」という驚きの顔。
「お客さんがいるから、これ以上は前にいけない」
「わかった、お客さんは俺が見る。でもそろそろ上がるぜ」

そんなやりとりをハンドシグナルで交わした後、チームから離れて左手に大きく移動をした。移動の時は怖かった。一人になるわけだし、周りには餌を求めて4尾、もしくはそれ以上のタイガーが回っている。辺りに気を配りながら、水底を這うように移動をした。

べエス達が見ている浅い方側から回り込んで、マンタとちょうど同じ水深の砂地に場所を取った。僕の右手には大きなハマサンゴがある。これを盾にすれば基本的に右側は気にしなくてすむ。後ろ盾があると少し気持ちが楽だ。あいかわらず周りには大きな円を描くタイガーはいる。水中全体に神経を集中しながら観察をしていると、どうやら奴らの狙いはマンタの死骸だけで、狂乱索餌行動はまだ起きていないようだった。

ある程度腹も満たされてきたのか、さほど攻撃的でないように見える。周りの魚も攻撃されている様子もないし、アタックとアタックの間隔が長いのだ。仕留めた獲物をもて遊んでいるように見えなくもないが・・・。でも今の距離では撮影にはまだ少し遠い。この状況なら行けるだろうと思い、少し寄って撮ることを決めた。

移動するため体勢を立て直す。盾にしていたハマサンゴを傷つけないように右側を気にして一瞬だけ前から目をそらした。気を許したつもりではなかった。しかし、目を離していた時間は考えていた以上に長かったようで視線を前に戻した時に僕は凍った。

最初に見た(個体だと思う)タイガーがマンタにアタックしたあと、僕の方に真直ぐに向かってきたのだ。食べた肉を飲みこむためだろうか、口をガフッ、ガフッと大きく動かしながらゆっくりとこちらに向かってくる。一瞬パニックになりそうだった。予期してない急のことに頭の判断が追いついていなかった。息が止まっていた。自然に息を止めていたみたいだった。それでも次の瞬間、持っていたニコノスVを奴に向けた。ゆっくり、そして確実に。

チャンスはきっと1回きりだ。ノーファインダーという勘で撮る方法もあるが、確実に撮るためビューファインダーを覗く。この瞬間、僕は全くの無防備になる。後ろ、頭上、左側どこから来られても何もできない。さらに目の前には3m以上もあるタイガーシャークが口を開けて進んで来る。

ファインダーを見ながら正直、後悔した。でも、もう戻れないし逃げ道もない。「撮るしかない」撮影に集中することが自分を守ることになる。そう、その時は思えた。 ゆっくり、そして落着くよう言い聞かせてシャッターを切る。1回目。そして巻き上げ。ファインダーからは目を離さないでいた。気が高ぶっているのか、体が強張っているのか巻き上げの時間がとても長く感じる。

2回目。1回目よりも近い。ファインダーから見ている画像にばっちりタイガーが収まっている。しかし、これだけ大きく写ればタイガーシャークはどのくらい近いかは想像できる。怖かった。どうしても奴の顔を見たくてファインダーから目を離した。

奴は目の前2mのところにいた。ゆっくりと頭を上げながら僕の左肩をかすめるようにして進んでいく。横を通りすぎる時にはっきりと僕のことを確認し、目は僕を追っていた。シャッターは切れなかった。竦んでいたのかもしれない。何もできなかった。

その後も何度かマンタの近くには寄っては来るものの、僕のところへは来ない。存在がバレたようだ。でも確実にタイガーの泳ぐ円は小さくなっている。目視できるだけで3個体。気のせいか、さっきまで1尾ずつのアタックだったのが徒党を組んでいるようにすら感じる。彼らの中でさっきと違う状況があるとすれば、僕を認識したことだ。この段階で自分が次のターゲットになっているとは考えにくい。満腹のサメは攻撃をしないとも聞いている。(じゃあ、このグルグル回っているのはなんだよ?)(何の為に?)考えをまとめている間にも、その円は小さくなっているように感じる。(残るか?もう少し)フィルムの残数はあと2枚。このあと何が起こるかわからない状況からすると、今ここで使いきるわけにはいかない。ゆっくりと、水底を這うようにしながら最初の場所まで戻ってくると、べエスとお客さんがボートに戻っている最中だ。タイガーは相変わらず回っている。今すぐにでも戻りたい気分だが、僕が戻る事によって、今浮上中のお客さんが危険な状態になることは避けなくてはならない。全員が上がるまでの1〜2分くらいの時間がこの上なく長く感じられた。

そのすぐ後に僕もボート上がった。安全だと思った途端に気持ちが高ぶっていく。無事に戻れたという安心と、撮れたという達成感だったのか。とにかく、ほっとした。

あの時は、本当の自然の厳しさと生存競争の激しさを見せつけられた気がしました。生き物の中で頂点にいるとされている人間ですが、そんな人間でも海に入ってしまえばちっぽけなものなのだなと、改めて思い知らされる事件でした。

皆さんにもハッピーなダイビングライフがありますように。


秋野
秋野 大

1970年10月22日生まれ
伊豆大島出身

カメラ好きで写真を撮るのはもっと好き。でもその写真を整理するのは大キライ。「データ」が大好物でいろんなコトをすぐに分析したがる「分析フェチ」。ブダイ以外の魚はだいたいイケルが、とりわけ3cm以下の魚には激しい興奮を示し、外洋性一発系の魚に果てしないロマンを感じるらしい。日本酒より焼酎。肉より魚。果物は嫌い。苦手なのは甘い物。

ミクロネシア・パラオ

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